サンパツとキングと0013…私の 009 思い出話・上
1964年の12月か、それとも65年の1月か、なにぶん60年近く前のことなので、明確に月日を記せない、―ではあるけれどビビっときたイメージは鮮烈に記憶に残っている。―というか、むしろ美化・補強されていたりして… その時私...
1964年の12月か、それとも65年の1月か、なにぶん60年近く前のことなので、明確に月日を記せない、―ではあるけれどビビっときたイメージは鮮烈に記憶に残っている。―というか、むしろ美化・補強されていたりして… その時私...
一本の短編SFが、私のマンガゴコロを、強烈に、ガッチガチに、とらえた。「週刊少年サンデー」1963年:第49号に掲載された17頁の読み切り作品だ。タイトルは『敵 ―THE ENEMY―』、作者は石森章太郎だった。 この作...
ものごころがつき、マンガを読み始めた時、すでに三人の巨匠がいた。 『鉄腕アトム』の手塚治虫、『鉄人28号』の横山光輝、『まぼろし探偵』の桑田次郎のお三方で、誰が何歳で、どんなキャリアで、とかいった情報は一切知らなかったし...
昔々、コアなマンガファン向けの雑誌がふたつ、「ガロ」と「COM」があった。その「COM」の何号目かに『まんが火山連峰』という記事が掲載された。作品の傾向や画風、師弟(協力)関係などをサークルの大きさと文字色で分類しライン...
青年マンガ誌の登場・後編に入る__ 「ビッグコミック」は当時の大物売れっ子作家の五人を揃え「ビッグ5が連載で競う!」を売りにした。手塚治虫、白土三平、石森章太郎、水木しげる、さいとう・たかを__よく揃えたもんです。さすが...
1967年7月7日に「週刊漫画アクション」が双葉社より創刊された。翌8月には、少年画報社から今や伝説の青年マンガ誌と呼ばれる「月刊ヤングコミック」が創刊された。16才・高校一年生になっていた私は、児童雑誌のコーナーではな...
私のマンガ道楽は、1960年から始まった。『僕が「少年サンデー」の購読を始めた時30円やった。小学三年の時や』が私のお定まりの台詞。であるけれど当のサンデー、その年の4月から40円になってたようだから、その直前、2月か3...
戦後復興~経済成長に爆進する’60年代が始まろうとする頃、’50年代半ばから続く週刊誌ブームに乗っかった、子供向け週刊誌の発行が複数の出版社で構想されていた。そんなおり出版業界に攻め時の状況が現れる。59~62年、国内製...