初めてのシネラマ、不覚にも眠る

1967年高校一年の秋、学校行事の映画鑑賞で大阪・梅田のOS劇場に行った。
大阪府の郊外―南河内の少年にとっては梅田界隈散策自体が物珍しく、多いにまごついたものだが、それよりなにより、劇場の大きさにびっくり!―OS劇場は、シネラマ上映館だったのだ。

上映作品は、あの『ベン・ハー』。
1959年の作品でありながら未だにアカデミー賞の史上最多受賞をホールドしている名作である。(※1)
OS劇場、1000席以上もある大劇場だから、入場する高校生は我々だけでなく、他校の生徒もいたように思う。その日、その回は、府下の高校の貸し切りというか、予約回だったのだろうね。

とにかくスクリーンがデカかった。
雑学風に書くと「横幅19.4m×高さ9.8mの超大型湾曲スクリーンを有するシネラマ館として全国に知られていた」となる。
自分たちクラスの指定席は、三階だったか四階だったか(四階があったのかどうかも)覚えていないが、とにかく観客席を見おろすほどの高所で、かつスクリーンに向かって左側だった。
超大型湾曲スクリーン全体が見えるのはいいけれど、劇場用語でいう下手(しもて)の高所から上手(かみて)の隅までを見おろすような塩梅だった。

元来私は、頑な、頑固、意固地という形容がぴったりする性格で、環境の変化等への順応・適応に時間がかかる人間(だから転職などに不向き)で、それは視覚の変化においても同様で、メガネをフレームを意識せずに装用できるまでに時間がかかるタイプといえば判りやすいか、―そういう性格なのだ。
この日も、巨大スクリーンの湾曲=変形がいつまでたっても意識から消えない、馴染まない、いつもより縦長になっているチャールトン・ヘストンの顔が気になって仕方がない、だから観賞に非常に疲れた。

『ベン・ハー』は212分という超長尺作品で、前・後編の2部構成で上映された。
ベン・ハーが奴隷身分におとされ護送される途中、喉の渇きを訴える彼に水を飲ませてくれた一人の大工―のエピソード辺りまではしっかりと観ていた…と思うのだが、その後は、ガレー船にの漕ぎ手となり鎖に繋がれているカットをわずかに覚えている……そう、前編の中頃に眠りに落ちてしまっていた。
時間にすると僅かだと思うのだが、気がつけば、ベン・ハーはチャリオット(戦車)の御者となっていた。

やがて、トイレ休憩を挟んで後編に突入―。
ひと眠りして満充電の私は、縦長の画面を気にしつつも、有名な戦車競争のシーンに興奮し、過ぐる日水をくれた大工の男、十字架を背負わせされゴルゴダの丘に向かうイエスに水を飲ませようとしたが蹴飛ばされるエピソードに胸が苦しくなり、……しっかりと最後まで見届け、その日の、私の人生初の「シネラマ体験」は、居眠りを挟みつつも興奮の内にフィナーレを迎えた。
作品的には満足したし、梅田にも来たし、高校に入ったらええことあるな~と小さな幸福感を胸に帰宅したのだった。

ここからは、エピローグめくけれど―
それから後、わたしとOS劇場の縁=シネラマ観賞は、『ジャッカルの日』『パピヨン』『未知との遭遇』『STAR WARS』と続いたがいずれも’70年代の公開作品だ。
社会に出、結婚し、こどもの誕生など時間が流れ、映画館に行くことは徐々に減り、’80年代にOS劇場に訪れた記憶はない。

OS劇場は、1991年2月に閉館。その閉館とともに、巨大スクリーン・大規模人員収容という“大映画館時代”は幕を降ろし、映画館は、シネコン時代に入っていった…。

※1:『ベン・ハー』(Ben-Hur)は、’59年のアカデミー賞で作品賞・監督賞・主演男優賞・助演男優賞など11部門のオスカーを受賞した。『タイタニック』(1997年)、『ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還』(2003年)がようやく同じ11部門受賞で並んだが、現在もアカデミー賞の史上最多受賞作品の一つなのだ。

※2:以前所持していた観賞した映画プログラムの記録写真。『ベン・ハー』、『未知との遭遇』、『STAR WARS』など。特に注目なのは『未知との遭遇』、タイトルの下に劇場名が確認できる。

※2:映画のプログラム