初めてボンド映画を観たのは、1966年の正月2日、中2の冬。
大阪阿倍野の近映大劇場で観た『007/サンダーボール作戦』だった。
二本目は『007は二度死ぬ』。
1967年10月31日、この日は吉田茂氏の国葬の日で、国公立学校は半休だった。
高校のクラスメイトと再び阿倍野に出かけた。多分、アポロビル「阿倍野セントラル」で観たはず。高校1年生だった。
三度目は、1972年。シリーズ第一作と第二作を同時に、古里の映画館「ラッキィ」で連続して観た。(※1)
四度目は、シリーズ第三作の『007/ゴールドフィンガー』。上の時期より少し下った頃、同じく「ラッキィ」での観賞と記憶している。
だからこれもリバイバル上映で、’60年代のヒット作との2本立てとか3本立てとかの組み合わせでの鑑賞だった。組み合わされる作品も、マックイーンの『ブリット』とかイーストウッドの『奴らを高く吊るせ』とか、田舎の映画館ならではの信じられない豪華なプログラムがあったのだ。
以後、007シリーズを劇場で観ることなく、もっぱら、TVかビデオ・ソフトでの観賞ということで50年以上が経過した。ほんと長いつきあいやね。
James Bond fans forever なのだ。
殺人許可証を持つケンカの強いプレイボーイを主人公に、銃と車とグラマラスな美女を配し、世界的犯罪組織を相手に大暴れする、男の子向けドリーム・ストーリー。
ウケないわけがないとは、結果を見た上でのお気軽な発言だろう。
先ずは、フレミングの原作を映画という“モーション・ピクチャー”に定着させ、大ヒットさせた第一作の関係者一同に最上級の敬意なのだ。

Bondはスパイというには大雑把なキャラだけど、そこがいい。
だれが“本当のスパイ”の映画をみたいもんか。
東西冷戦下に生きる人々(主に男性)のための一大エンターテインメント活劇シリーズがボンド映画なのだ。
だから、1966年正月、中2の少年=私はイカレチャッタのである。
ボンド映画は、1962年に誕生し、爾来60年以上、エンターテインメントの王道を走り続け、時代を超えて愛され、25作品(イーオン・プロダクションズ作品)が作られている。
6代目ダニエル・クレイグが卒業した最近作『 007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』からもう4年になろうとしているが、新作の進捗情報はほとんどなく、7代目俳優も決まっていないようだ。また、MGMを買収したアマゾンと、製作権を持つブロッコリ家との関係も非常によろしくないといった記事も見たりする。
ファンとしてはイライラするところであるが、ここはじっくりと待ちたいと思う。
その間、つなぎと言ってはなんだけど、マイ・スーパー・ヒーローである007 ジェイムズ・ボンドの、映画本編だけでなく、ポスターや看板に表れたアート作品などのネタ話をボチボチまとめてみようと思う。ゆえに、雑文のタイトルは、
James Bond forever
なのだ。
※1:このリバイバル公開で、第一作『007は殺しの番号』は『007/ドクター・ノオ』に、第二作『007/危機一発』は『007/ロシアより愛をこめて』と「007/+原題」という形が固まった。