愛する虫プロ調、『わんぱく探偵団』より始まる
日本の連続テレビアニメの歴史の幕を開けたのは、’63年の1月1日、虫プロダクション制作の『鉄腕アトム』であったことはすでに書いた。以後、’65年『W3』『ジャングル大帝』、’66年『新ジャングル大帝 進めレオ!』、’67...
日本の連続テレビアニメの歴史の幕を開けたのは、’63年の1月1日、虫プロダクション制作の『鉄腕アトム』であったことはすでに書いた。以後、’65年『W3』『ジャングル大帝』、’66年『新ジャングル大帝 進めレオ!』、’67...
ものごころがつき、マンガを読み始めた時、すでに三人の巨匠がいた。 『鉄腕アトム』の手塚治虫、『鉄人28号』の横山光輝、『まぼろし探偵』の桑田次郎のお三方で、誰が何歳で、どんなキャリアで、とかいった情報は一切知らなかったし...
青年マンガ誌の登場・後編に入る__ 「ビッグコミック」は当時の大物売れっ子作家の五人を揃え「ビッグ5が連載で競う!」を売りにした。手塚治虫、白土三平、石森章太郎、水木しげる、さいとう・たかを__よく揃えたもんです。さすが...
今日という日、明日からは歴史的な日として記録されることを十二分に認識していた小学5年生の少年、つまり61年前の私は、誰に伝えるというものではないけれど、そのことを迎えるにあたり、自分なりのきちっとした迎え方をしよう、大袈...
私のマンガ道楽は、1960年から始まった。『僕が「少年サンデー」の購読を始めた時30円やった。小学三年の時や』が私のお定まりの台詞。であるけれど当のサンデー、その年の4月から40円になってたようだから、その直前、2月か3...
戦後復興~経済成長に爆進する’60年代が始まろうとする頃、’50年代半ばから続く週刊誌ブームに乗っかった、子供向け週刊誌の発行が複数の出版社で構想されていた。そんなおり出版業界に攻め時の状況が現れる。59~62年、国内製...
「少年画報」は、 1950年(昭和25年)より少年画報社が発行、昭和30年代には「少年」と激しく少年誌の覇を争った名門誌である。 筆者が眼にし、記憶に留めている同誌の代表的連載陣には、福井英一・武内つなよし『赤胴鈴之助』...