1970年、マンガ界に稀代のストーリーテラーが現れた。
小池一夫さんだ。(この時は、一雄)
1970年7月『ノスパイフ戦線』(画:西郷紅星・ヤングコミック連載)でデビュー、同年9月には、あの!『子連れ狼』の連載が始まり、以後怒濤の快進撃が始まった。
名作・ヒット作が矢継ぎ早に発表され、小池作品の載っていないマンガ・劇画誌は無いという印象だった。そんな「小池ブーム」とでもいうべき勢いは、マンガ・劇画誌だけにとどまらず、新聞や一般週刊誌にも広がった。
報知新聞『忘八武士道』(71年~)、週刊現代『首斬り朝』(72年~)『I・餓男』(73年~)、週刊プレイボーイ『修羅雪姫』(72年~)、週刊ポスト『弐十手物語』(78年~)、ああ~っ、きりがない。
当時20歳前後だった私は、そんな燎原の火が瞬く間に広がってゆくような小池作品の快進撃を、メディアとしてのマンガ・劇画の驀進と捉え、驚嘆と喝采をもって眺めていたのだった。
本当に、70年代前半から80年代前半は小池さんの時代だった。
小池作品の特徴は、ViolenceとEeroticismだ。
このブログでも、すでに書いたことだけれど、重ねて書いておきたい。
読者の対象年齢をあげれば、取り上げる作品世界も広がる。
お話と画技も相互触発の関係、未踏の世界を描こうとすれば新しい表現が探求され、開発され向上する、つまり、どんどん上手くなるのだ。
端的な例を挙げるならオッパイだ。
児童漫画からスライドしてきた作家たちは、オッパイは〝記号〟として遠慮がちに、あるいは逆に誇張して、ふくらみの稜線を線で描いていたが、正直あまり熱が篭っている線とは言い難かった。
が、数年経った頃にはかすれ線を使って薄い影を表現し始める。曲面の表現を手に入れて、柔らかい膨らみ=バストの描写を獲得した。読者が触ってみたいと思うオッパイが描ける。これは、青年誌からデビューした劇画系のみなさんの功績だ。
画がうまいと言いうのはマンガにとって最大・最強の武器だ。
小池作品の特徴である美女たちの艶シーンも、叶精作さん芳谷圭児さんをはじめとする絵師たちの手によって、読者をエレクチオンさせるレベルの絵となったのだ。
筆者の趣味としては、池上遼一さんの描くヒロイン達がたまりません(笑)―余談やけど。
小池さんはデビュー前にさいとうプロに所属していた。
私がストーリーテラー「小池一雄」を知ったのも、同プロの作品末尾にあるスタッフ名一覧だった。
日本劇画界の超巨大作『ゴルゴ13』が始まったのは1968年、小池さん在籍中だ。
Wikipediaによると、1968年11月(69年1月号)の第1話「ビッグ・セイフ作戦」から70年3月の第24話「査察シースルー」の内の18話が小池脚本だそうである。
私が少年・青年時代、購入したマンガ雑誌をばらして、コクヨのファイルに合本していたことはどこかで書いた。
『ゴルゴ13』もそうして所持していたのだが、30話を過ぎたあたりから中止している。
その脇で新しく『ノスパイフ戦線』のファイルが増えたりしている。
私は、その頃から小池さんのファンだったのだ。
小池さんは、1976年までの筆名「小池一雄」を「小池一夫」と改める。
’80年代に入って、私の関心の中心は急速にビデオ系移り、コミックをほとんど読まなくなった。
だから、私が小池さんを思う時、ほとんど「小池一雄」時代のものとなり、この巨人のわずかな部分でしかない。
今でこそ、映画や演劇といった他の分野の原作供給源としても活用されるジャパン・コミックだけど、大人の鑑賞に耐える一級のエンターテインメントとしての評価を獲得していった小池作品の大きな功績あってこそ。
ジャパン・コミックの水準を大きく底上げし、世界のコミック界にも影響を与えた小池ロマン。
私を酔わせてくれて、本当にありがとうであります。