堰堤想い出話 ―河川敷編―

前回のイントロ―
その堤は家から徒歩で10分もかからないところにある。
堤防下を通る国道25号線を警察署前の信号から横切り、50段程の石段を上がると一気に視界が開ける。
―私は、まだ少年の頃の記憶の、そこに立っている。

堤防の上に立ち、少し川上を眺めると、南河内を北進してきた石川と合流した直後、大和川が大きく左折し西向きに進路を変更、大阪湾をめざして流れ始めるあたりにある堰が柏原堰堤―と、ここまでは紹介済み。その当時の堰堤がどんなだったか、ちょっと紹介すると、こんな感じだった。(下の図版-1参照)

図版-1:国交省近畿地方整備局 大和川河川事務所のサイトのスクリーンショットと掲載写真(※1)

この昭和30年頃に造られたという堰堤によって水量はコントロールされ、ほんの数メートル下流には、川幅の半分程度、藤井寺市側が川筋、対面の柏原市側には河川敷が広がっていた。

昭和30年代中頃から40年代初め頃まで、わが家ではピーという名の雑種犬を飼っており、カレを毎日散歩させるのが私の役目だった。
このピー、結構気性が荒く、気軽にリードを開放できなかったので、家から徒歩10分弱のこの河川敷に連れてきてから解き放ち、束の間のフリータイムを楽しませていたのである。
それこそ、雨の日も風の日も、暑い日も寒い日も、カレには無関係、何年も欠かしたことはなかった。
中学生時代の私は野球部に入っていた。
夏休み中も昼過ぎから夕刻まで練習で、くたくたになって帰宅しても、私が帰ってきたのを見つけ、リードの長さ一杯に右に左に雀躍りし、外出を催促するカレをみると、断れず河川敷に出かけたのだった。
土手下の河川敷に到着し、引き紐をはずすと一目散に駆け出し暫くすると帰ってくる。時に背の高い草むらに頭から突進し姿を消し、時に低い草むらでごろごろ横転し、とカレの自由時間は続くのだった。
そういえば、再びリードを装着し帰宅するまで30分以上追いかけ合いをして、叶わなかったこともあった。
その時は、どうしたかって? 放ったらかして帰ろうとして土手を上がり始めた私を先方が追っかけてきたので、振り向きざまに捕まえた次第。
犬とは走らせてナンボの動物だという本質・認識を私にたたき込んだのはカレである。

1976(S51)年、私は結婚し、古里から転出した。
以来50年、一度も大和川・柏原堰堤やその付近を訪れていないのだが、気候変動時代に入り「台風による大雨の影響で、大和川が氾濫の恐れ…」などとニュースで耳にするようになり、大和川に関する記事を読むようになったりしている。

そんな時、Wikipedia等で、大和川の不名誉な履歴と名誉ある成果の両方を知った。

不名誉な日本一の履歴とは、国土交通省・水管理・国土保全局が毎年行なっている一級河川の水質調査において、2004年から2006年まで全国で最も汚い一級河川を3年連続で記録したのだ。
一方、名誉ある成果はといえば、浄化施設の設置や自治体や市民の排水への関心や清掃に取り組む地道な努力が実り、2024年に「過去10年間で水質が大幅に改善されている河川」で日本1位に選ばれたのだ。
現在は本来の綺麗で透明な水の姿を取り戻しておりアユやウナギが確認できるようになったそうである。

あの柏原堰堤も魚類の遡上という面からの改良が加えられ、昭和29年に設置された中央魚道に加え、2001(H21)年には右岸魚道、2019(R元)年には左岸魚道が完成し水棲生物達も活動しやすくなった。(どおりで最近の写真をみると記憶と違うはずだ)

きれいな水に棲むシンボルのようにいわれるアユが、大阪湾で生まれ、大和川をのぼり、府県境を越え、奈良県にまで遡上するようになった。

この大和川の蘇りといってもよい情況は、昭和30年代、河川敷の草むらに隠れ家のようなものを作り、河内橋の下の砂地でボール遊びをし、あの堰堤の中央魚道を流れ落ち、溺れそうになったりしつつも、大和川によって育まれたともいえる少年にとっては、誠に喜ばしいニュースなのである。

※1:国土交通省近畿地方整備局 大和川河川事務所の公式サイトで、大和川の概要/大和川流域について/大和川の懐かしい写真展示館 と階層をたどると、上で紹介した「位置/年代不明」のページに至る。 また、同事務所が平成23年11月に発行した『柏原堰堤魚道について』というレポートのPDFの2ページ目「昭和初年〜30年代」のページには、「水遊びする子供達 柏原堰堤(昭和36年頃提供:柏原市)」のキャプションで同写真が掲載されている。