ふるさとのもうひとつの「こころに残る風景」…少年期の思い出語りを一席。
昔から視界の開けたところが好きだった。
だから高尾山の山頂からの遠望が好きだったし、近くを流れる大和川の堤の上からの眺めもホッと心が解放される好もしい時間だった。
その堤は家から徒歩で10分もかからないところにある。
堤防下を通る国道25号線を警察署前の信号から横切り、50段程の石段を上がると一気に視界が開ける。
左手には近鉄道明寺線の鉄橋、その奥に新大和橋がみえ、そのまま対岸に視線をスライドさせると奥に二上山、そのままパンを続けると大阪府の最高峰・金剛山が遠望できる。
ぼんやりと対岸の藤井寺市を眺めつつ右に眼を滑らせてゆけば、視界の右半分、大阪平野をはぼ真西にくだって行く下流の景色になる。
少し先に当時としては新しめの河内橋、そしてもうひとつ下流にあるのが新大井橋、川の両河岸には八尾市や松原市の圧縮された風景が少し滲んで見えている。
視線をリセットして足元の堤防の斜面の中段まで下りる。
少し川上の河川敷に眼を転じると、そこに堰堤がある。
川上に歩を進め、堤防中段のコンクリートの床に座り、前方の堰の上をすべる水流を眺める。
私のお気に入りの場所、柏原堰堤だ。

ここに絡む記憶の中の点景は、少年期から青年期までの“あの頃”がこもごも折り重なっている。
記憶画像に自分が溶け込んじゃってるというか、画の中に自分も写っている―つまり、カメラ目線で作った記憶という名の創作画像だよね。
自己顕示欲の権化か、はたまた自己中の極致か、自分の脳内映像によく出演するワシなんだけど、青春期の気分の良いシーンは特にここ、堰堤絡みが多いのだ。

そんな興趣あふれる(?)青春映画や学園TVドラマの如きシーンをちょびっと紹介すると、
小学校5・6年のとある土曜日の午後、「最近、バレンタインデーというのが流行り出してるねんて。知ってる?」とT子ちゃんが教えてくれた所。記憶では爽やかに明るい陽光一杯の堰堤の景色が広がっている。
中学生時代、同様の記憶がないこともないが、むしろ、逆のケースが印象深い。
1年生の頃から気になっていた隣のクラスのR子さん、3年間ついに同じクラスになることもなく、意思表示もできなかった。3年生の時など、友人の生徒会長 E君の尽力で、彼女とペアで活動できるように生徒会の役員にセッティングしてくれたのだが、事前に準備していた事務的な会話しかできなかった。あかんタレや、苦い方、寒色系の青春メモリーや。
堤の上で左側に130度程度回転し、彼女の住んでいた辺りを眺めたりもしたっけね。記憶はセンチメンタル系にぴったりの、まもなく夕暮れが始まるという遅めの午後の情景だ。
高校生の頃、オイラと同じクラスの女子2名と男子2名の計5名で堤の中段のセメントブロックに腰掛け雑談した黄昏直近の時間。これがコントラスト高めの記憶。女子の一人は、当時ぞっこんだったSエさんで、髪をかき上げた時の仕草や歓談したときの笑顔など――時間止まっておりまする。
辺りは黄昏始めており、心地よい風も吹いていたよう…
おいおい、これ、もろ青春映画やん。作ってるやろ!
…その全てがセピア調色された写真のような、褪色が進んだ半世紀前の記憶だよ(笑)

さて、この一文、自分の記憶をイントロにして、大和川のことをちょこっと書き留めようと始めたんだけど、思い出話に淫しちゃったようである。
よって、稿を改めることにする――


