議論とまではいかないが、なんか、もっともらしいことを喋ったり、蘊蓄を語ったりしているときに、その場の標準的な見解とちょっぴり違うことを発言する際、頭に「ある意味」をつけて切り出す話し方、「それって、ある意味◯◯やね」や「ある意味、◯◯◯っていえるんちゃう」とかいう人がいるけれど、この言い方、私は妙に耳につくことがある。
言葉の検索サイト『weblio 辞書』/『実用日本語表現辞典』の「ある意味」の解説を引用すると、
―特定の観点に立っているものの、どういう観点かを明示することなく、そういう観点もあるということを漠然と表す表現。同様の表現に「ある種の」などもある。―
明解にして明快である。
当ブログでは、日頃使っている言葉に関して「近頃気になる巷の日本語」として幾度か綴ってきたわけだけど、ほとんどは、その用法文法的におかしいぜとか、そんな敬語おかしいやろっといったもの。
でも、今回はちょっと違う。
用法自体に違和感は少ない(ないことはない)のだが、この話法を用いる人の心根みたいなものが、きっと嫌なんだと思う。
顎に手を当てたり、腕を組んで斜め上を見たりしながら、したり顔で「ある意味~」と使われたりしたら張り倒してやりたくなるのは私だけではないだろう。
上記辞書に掲載されている用例をいくつか紹介すると、
● 彼はある意味正しい。
● ある意味では私はとても感動した。
● 彼女の言わんとすることはある意味では理にかなっている。
上の解説の通り。茫にして漠だね。
「ある意味、◯◯~」とつけて意見を述べる背景には、自らの意見を“次善の意見”としてちょっと譲っておくことで、
相手の反論をあらかじめ防御する、あるいは理解・賛同を得やすくするために「ある意味」を着けておく―あくまでも自身の安全確保という、小狡さと自信の無さが透ける気がするのが耳につく正体やと思うわ。
言い方を変えれば、自分の見解であると明言せず「ある意味」さんにしておけば、たとえ論破されようとも、あくまでも「ある意味やし」っと逃げれるし、断定を避けておけば、「もう一つの意見として、参考までに申し上げただけです…」とかなんとか逃れもできるといった「逃げ道確保話法」に思えて仕方がないのだよ。
結局、「ある意味~」が

