道頓堀・松竹座で『大脱走』

1970年の4月、道頓堀の松竹座で『大脱走』を観た。

進もうとしていた専門学校が高校卒業の半年前に倒産し消滅するという、我が人生の中でも結構ヘビーでターニングな局面で(笑)、急遽受けた大学も合格することかなわず、いわゆる卒業後の進路の選択とか一切せずに高校を終え、宙ぶらりんの1カ月ほどをすごしたのち、ご近所の人の紹介で、大阪市内にあった印刷会社に職を得、働き始めたのが1970年4月のこと。
新卒入社ではなく、10日程遅れた途中入社だった。

勤務を始め、しばらくして精神も少し落ち着いた頃、楽しい映画を観たくなった。
先輩社員に「今やってる映画でおもしろいのン、なんですか」と尋ねたら、明快な答えが返ってきた。
「それやったら、『大脱走』や」
「ミナミでやってますか?」と重ねて尋ねると「おう、松竹座や」と即座に返ってきた。

子供時代からアベノが中心の河内っ子の私、キタはわずかに知ってはいたが、ミナミはほとんど知らなかった。実社会(?)進出記念に、ミナミ・デビューをと構想していた私にとって、うってつけのプランだった。中学校時代からの友人M君といそいそと出かけた。

『大脱走』の初公開は、1963年8月。ゆえに私が観た1970年は、リバイバル上映。
いまさらだけど、本作は〝戦闘シーンのない戦争映画の傑作〟であり、〝脱走にかける男達の一級の人間ドラマ〟であり、映画の面白さを全部まぶした“極上のエンターテインメント”であることは、誰もが認めるところ―だもんね。
あれから半世紀、何回観たことだろう。
5年に1回観ているとしても、10回はくだらないということだね。名作は、飽きないものだ。

そして、私のミナミ進出、『大脱走』と「松竹座」、あれから半世紀が経ち、またまたいまさらだが、非常に満足するものであったこと、ここに記しておく。

その松竹座、正確には「大阪松竹座」。
1923(大正12)年に活動写真館として開業。アーチ型の外観などから「道頓堀の凱旋門」と呼ばれて親しまれてきた歴史がある。
映画だけでなく、OSK日本歌劇団のレビューなどの実演と外国映画上映を組み合わせた興行を行なったりして話題を集めたそうである。
第二次大戦後は映画館になったが、映画不況などが相まって1994年に閉場。
外観を残して建て替えられ、97年に舞台専用の劇場として再開場、以後歌舞伎やミュージカルなどを幅広く上演する劇場として、多くの観客を集めてきた。
―と新聞などで紹介されるミナミの顔のひとつだ。

※写真は、2017年1月の新春大歌舞伎開演前の松竹座正面の様子

かく言う私も、2000年以降は歌舞伎や演劇の鑑賞者として、幾度かは松竹座を訪れている。
もともと実演に興味が薄い私だったが、実演ならではの面白さがあることを教えてもらった貴重な劇場だ。

8月28日、松竹株式会社は「大阪松竹座」での興行を2026年5月の公演をもって終了する、と発表した。建物設備の老朽化に伴うためだそうで、閉館後の計画も今は未定という。
老朽化だからいたしかたないのだろうが、寂しさを感じるのは否めない。

松竹株式会社さんが、どのような後継プランを発表されるのか、楽しみに待っていたいと思っている。