群を抜いてうまかった人 園田光慶・賛 【後編】

園田光慶。とっても不思議なマンガ家さんである――の後編だ。

以前「天才・桑田次郎さん」と題した小文を当サイトに掲載したけれど、その余熱〝桑田次郎〟熱を持ったままネット散策していると、「桑田次郎と園田光慶」という記事がヒットした。
それは、『名古屋コミックス』という名古屋の稀覯マンガ本の販売をなさっているオールド・コミックス屋さんのウェブ・コンテンツ内の「園田光慶」の2ページ目の記事だった。
開けてびっくり、そこには、桑田作品における“園田光慶のお手伝いの痕跡”が紹介されていたのだ。

筆者はそのことをまったく知らずに「天才・桑田次郎さん」の文中に、1970年頃の自らの印象として「(桑田次郎は)なんて綺麗な画を描く人だろうと、感嘆の息を漏らしていたのだった。同様の“心地よい抜け具合”を感じたのは、不思議なことに児童マンガ界ではなく、描き込みが多いと思われがちな劇画界の、園田光慶さんの画からだけだった。」と書いている。
だから、上のコンテンツを見つけた時、私はひっくり返ってしまったのだった。

いやはや、1965年、園田光慶氏が桑田次郎さんを手伝っていたとは、驚愕です。
1965年といえば、前回の投稿で紹介した、『大魔鯨』や『タイガー66』で川崎のぼる氏を手伝った時期の1年前、園田光慶と改名して2年目、あの『アイアンマッスル』を発表した直後のことである。

園田光慶、高みを見つめ過ぎて疲れちまったのか。
名作を生み出しても、「本当の俺はこんなもんじゃねえ~」とか考えちゃう人だったのかもしれないね。
で、自作を描かずに他人を手伝ったりしている。
だから、とっても不思議なマンガ家さんなんである。

この絵は記事とは無関係。筆者が貼りあわせただけである。

手伝ってた作品も凄い。あの『8マン』や、筆者が青年コミックとしてずっと昔から賞賛していた『アンドロイド・ピニ』というのだから、恐れ入谷のナントカなのだ。
結局俺は当時から園田光慶の画を絶賛していたのか?!!

以前当サイトで紹介した『まんが火山連峰』という記事、改めて園田光慶を中心に眺めると、さいとうたかを・川崎のぼる・南波健二・桑田次郎・永島慎二と交友関係が見えてきた。このマップ、当時からきちんと書かれていたのだった。今さらながら、脱帽。

ちなみに上の記事、「桑田次郎と園田光慶」は結構面白いよ。マンガファンの皆様には、一読をお勧めしておく。

そして、話題転換。
現代マンガ、ジャパン・コミックの最高の描き手である大友克洋さんに影響を与えたマンガ群を紹介する、明治大学米沢嘉博記念図書館・現代マンガ図書館のイベント『大友克洋を育てたマンガたち』展が、2025年3月7日~6月23日に開催された。
そのイベント告知4Pリーフレットの表紙&裏表紙写真および中面の見開き挿画(講談社版「大友克洋全集」第1期の告知用イラストを転載したもの)を見ると大抵の人は驚くに違いない。

明治大学米沢嘉博記念図書館・現代マンガ図書館のイベント『大友克洋を育てたマンガたち』展の表紙

特に表紙写真、そこには、アイアンマッスルを中心に、貸本時代の『ゼロの消失』から、雑誌時代の『ゴム人間』まで、園田作品がでんと据えられ、アイキャッチイメージの半分ぐらいを占めているのだ。

園田光慶というマンガ家が、マンガ表現の描画・描線革命のパイオニアであったことをこれほど如実に示す写真はないだろう。
だって、あの大友克洋がこんだけ入れ込んでたんだぜッ…といいたくなる、これはもう証拠写真といっていいだろう。

この写真の撮影を取り仕切ったアートディレクター自身が、一番の園田光慶ファンなのかもしれないね。誰か知らんけど。
もうちょっと、写真に近寄ってみようかのぉ~(笑)

園田作品以外で眼に入ってくる懐かしい作品達としては、画面斜め右上から園田塊をくずすかのように入り込んでいる石森章太郎の『ミュータントサブ』、そして『新・黒い風』。その下には青林堂が刊行していた「現代漫画家自選シリーズ」の一冊・林静一さんの『赤色エレジー』、同じくガロ系の「ガロ」そのもの ’70年5月増刊号『池上遼一特集』、その上にかぶさっているSUNCOMICS版 関谷ひさしの『ストップ!にいちゃん』、その左手には、今となっては珍しい?筆者小学生時代のお気に入り、藤子不二雄のアクションマンガ『シルバークロス』、そしてアイアンマッスルに挟まれた樹村みのりさんの『ポケットの中の季節』等々……。

追撃、最後の決定打。裏表紙の下段の特別展示の告知を見て欲しい。
展示コーナー名ずばり、『園田光慶に刮目せよ!』

やはり、園田光慶、群を抜いて、上手かったのである。

明治大学米沢嘉博記念図書館・現代マンガ図書館のイベント『大友克洋を育てたマンガたち』展のこちらは裏表紙