別冊少年キング ’65年1月号を求めて…私の 009 思い出話・下

『サイボーグ009』の「少年キング」での連載が終わって約半年が経過した1966年4月、私は中3に進級した。

今日ではどうだか知らないが、私の時代―昭和40年代の中学校は、新年度が始まる4月、新3年生の中から、生徒会の会長・役員を選挙によって選び、一年間運営するのが一般的であった。
例年通り生徒会・会長選挙の時期になり、我がクラスからはE君が立候補した。
E君は、秀才の誉れが高い学年一のできる子だったのだが、何を思ったのか、小生に演説会の応援弁士を依頼してきた。
おっちょこちょいだった私は、なんの逡巡もせず引き受けたのだった。
候補者演説会当日、校庭に全校生徒が並んでいる中、何組目だったか忘れたが、私とE君の番が回ってきた。私は、E君に続いて朝礼台の階段を弾むように駆け上がった、――つもりだったが、足を引っかけ朝礼台の上で転倒、全校生徒1500人の前で赤っ恥をかいた。
が、なんとか気を取り直し、予定の内容をしゃべり終えたものの、弁士としての勤めを果たせたかどうかは大いに疑問かつ不安であった。
一方ではE君の得票を減らしてしまったと恐れ、他方ではE君は大本命やから大丈夫とバランスをとろうとしていたが、心中ボロボロガタガタだった。

E君は大方の予想通り当選し、私の心は無事に相克と自責から解放された。
結果の出た日だったと思うけれど、E君に「生徒会、手伝うてくれへんか」といわれた。
会長直下に幾つかの専門部会があって、部会個々に責任者を任命しなくてはならないとのことだった。
「この中のどれか選べ、っていわれても…」、と今回は逡巡し、書類を眺めていると、“厚生委員”の文字が目に入った。一呼吸の後「これでええ。…いや、これがええ」というような流れで、私はその年の厚生委員になった。
厚生委員の主任務は、月一回行われる古誌・古本回収のまとめ役だ。私は、労せずして、全校生徒1500人分の雑誌の回収権を手に入れた―と思い込んだ。完全に職権濫用やね(笑)

私の頭に浮上していたのは、一年以上前の【「別冊少年キング」1965年新年創刊号】。
これで、心置きなく、誰憚ることなく“章太郎フリーク”が発揮できる。
これは、廃品回収ではなくて伏線回収やんか、と今なら笑える話…かな(笑)

※図1

それからの私、月例の回収日には、集荷場所にあてられていた技術工作室に、詰めた。
業者さんが回収に来る前にお宝を探索しなければならなかったからである。
当日の一時限目は“自然に”無断欠席となった。お宝の山、紐で括られた回収雑誌の塊たちと格闘していると、始業チャイムも、何もかも、意識から飛んでいたからである。

【「別冊少年キング」1965年新年創刊号】は、果たして回収雑誌の山から発見できた。
私の奮闘期間は意外に早く決着がついたようである。
○月○日と明言はできないけれど、秋田書店・サンデーコミックスの『009』第1巻の発売は、7月1日。わけあって初版を買い逃し、取り寄せで第二版を手に入れることになる。(※3)
届いたのが9月頃と考えると、単行本を買う以前に当該誌を入手していたという記憶と辻褄があう。すなわち、4月から9月の間、夏休みを除く約5カ月間が奮闘期間と推察できる。
短いのか、短くないのか、判らへんけどね。
ついでに言っておくと、’66年春の時点では、雑誌連載から単行本(新書版コミックス)化という日本式出版スタイルはまだ確立されていない。田舎の少年は、『009』の単行本が出るなどとは夢にも思わず、掲載誌の追跡と獲得に執念と知恵を巡らせていたのである。

1966年7月、『009』は転生する。
「週刊少年マガジン」30号(※4)から『地下帝国ヨミ編』が始まり、1967年3月の13号まで連載され、私の最も愛したマンガ『サイボーグ009』は、見事に完結したのだった。

※図2

……『009』はヒットし過ぎたのだろうか。
大感動を生んだ最終回。あの見事な最後に対して、「ジョーとジェットを生き返らせて」という要望と抗議、もっというなら脅迫まがいが多く寄せられたとのこと。
読者とはそこまで作者に強いれるものなのか。
作品を受容するのが基本姿勢の私には、わかりにくい感情だ。
しかしその声に応えようと、天才・石森章太郎は苦悩し、続きを構想した、―が、多くは苦しみの軌跡が見てとれる作品になった。
私は『ヨミ編』以後の『009』を読むのがとても辛かった。

ブラックゴーストは人間の欲望や悪意―カルマから生まれる、という作者の思惟を汲むなら、新しい敵は必要ない。我々が生きている限り、009達の戦いは終わらない、終われない。ループするしかない。
だから、生きている009を見たい人は、もう一度第一巻に戻るしかないのだ。
――当時、私はそう考え、現在もそう思っている。

~ ねてもさめても、石森章太郎 Part 2 「私の 009・思い出話」~ 了

おっと、あともう一回! アレについて書かずに終われません!

※3:本屋さんで配達のバイトをしていたことは「まあ、よく読み、よく覚えているもんだ。―月刊少年漫画雑誌の記憶_補章」で書いた。中継ぎ店からきた梱包を開いて、新刊のチェックができることをメリットとして紹介した。私が勤め始めた時、すでにバイトの先輩君がいて、『サイボーグ009』第1巻が入った包みは、この先輩君が開き、第1巻も自らのものとした。私はどれほどこの一冊を待っていたか説明したが、「俺も009、待っててん」と返答されると、涙を呑むしかなかった。

※4:『週刊少年マガジン』1966年27号に掲載された『プロローグ』は、映画化記念・掲載雑誌移行記念のご愛嬌として無視する。

※図1:写真左:「別冊少年キング1965年(昭和40年)新年創刊号」表紙:Yahoo! JAPAN オークション(2023.9.17 終了)のスクリーンショット/写真右:Amazon Kindle版「サイボーグ009(1) (石ノ森章太郎デジタル大全) 」試し読み画面のスクリーンショット

※図2:写真左:「週刊少年マガジン」1967年・30号表紙:Yahoo! JAPAN オークション(2018.9.26 終了)のスクリーンショット/写真右:「風こぞうのブログ『週刊少年マガジン』1966年30号」に貼られた「サイボーグ009 ・地下帝国ヨミ編」第1回の扉画像のスクリーンショット