1967年4月、高校に入学した私を待っていた驚愕の出会い。
通学が始まって、2日目か3日目だったろうか、クラスメイトの顔と名前を覚え始めた頃、隣の列辺りに、SSという男子生徒がいることに気づいた。
“Y市のSS”、こっ、この名前!!
「ひょっとして、『続・マンガ家入門』に載っていたSS君?」と尋ねた。
「そうやけど…」とその少年は答えた。
その途端、羨望10%・嫉妬90%の感情の奔流に包まれたことを今でも覚えている。
『少年のための マンガ家入門』は、秋田書店の新入門百科シリーズの一冊として石森章太郎が書き下ろした“マンガ家になるための入門書”で、日本中のマンガ好き少年少女が貪り読み、文字通りマンガ家になりたい児童・青年を激増させた名著である。
『続・マンガ家入門』は、その名の通り、大ヒットした前作の内容をより本格的に詳述した続編で、こちらもベストセラーになった“専門書”だ。
正編『少年のための マンガ家入門』は、 1965年8月15日初版発行 320円。
「週刊少年キング」連載の『サイボーグ009』が終了するひと月前のことだ。
私の住んでいた小さな町では、すぐに売れてしまうのか、町にある3軒の本屋さんを何度訪ね歩いても入手できなかった。
’65年秋も深まっていた頃だったろうか、多分大阪市阿倍野区のYG書店で発見したと思う、多くの人が立ち読みしていった故だろう、箱にも本体にも少しイタミやキズがあったけれど目を瞑り、とにかく宝石のような一冊『マンガ家入門』を手に入れたのだった。
決してオーバーでなく、すみからすみまで“貪り読んだ”というのが実感だった。
作者のプロフィール、マンガの書き方―理論と実践、マンガの歴史、創作・著述・映画関係の専門用語もこの本で知り……暗記するほど読んだ。
余談だけど、読みやすさを支えたのは、著者の文章の上手さだと思う。
石森さんは、小説家にもなりたかった人だから、文章もなかなかのもの、文字の本『世界まんがる記』(※1)も、あまり読書になれていない私にも楽々読めたという記憶がある。
それはともかく、そして当然のことながら、私も〝マンガ家になりたい少年〟になってしまった。
天才・石森章太郎、執筆時27歳。本書の執筆により、日本中のコアなマンガファンを完全に自分のフリークにしちゃったのだった。
2018年、NHK-BSで放送された『100分de石ノ森章太郎』において、竹宮惠子さんも「石ノ森先生の一冊を選ぶなら」と、本書をあげておられた。
数年後に迎える少女マンガの大革新を成し遂げた「花の24年組」の作家達にも多大な影響を与えた真の名著なんである。
’66年8月、中3の夏。『続・マンガ家入門』が刊行された。
「週刊少年マガジン」連載の『サイボーグ009』が始まってひと月後のことだ。
こちらは、手堅く初版をゲットした。
『続・マンガ家入門』は、前著(正編)を読んだ読者=購読者が著者に宛てたファンレター&質問状を分類構成し、返事・解答を行い、マンガ家になるための“より突っ込んだ入門書”を目指したものだ。
「本の内容をもっとくわしくしたらいいと思います」とか「マンガをかく順序(テーマ・そのプシ巣・ストーリー・コマ割り・ネーム・絵コンテ・ペン入れ)をもっとかんたんにおしえてください」などという、知らないことを恥じない青少年のストレートな質問にきちんと答える著者の姿勢に篤実な人柄を感じ、私の〝章太郎フリーク〟はますます加速したのだった。
今では考えられないが、本文中には質問者の住所と氏名も掲載されていた。
だから、半年後、この雑文の冒頭のシーンが現出するのだ。
―「ひょっとして、『続・マンガ家入門』に載っていたSS君?」と尋ねた。
―「そうやけど…」とその少年は答えた。
そんなわけで、同じクラスで、互いにマンガを描いてる者ということで、親密ではないものの知人としては認知しあった。
その後、S君の知り合いでマンガを描いている男子が隣のクラスにいるとのことで、S君の仲立ちでそのZ君と2回ほど会った。
お定まりの、マンガ同好会や研究会を作ろうかという話題になったが、二つの理由で私は断った。
ひとつは、Z君は、自分を「ガロ」系、私を「COM」系と決めつけ、「ガロ」は3年の実績を持つ硬派なマンガ芸術誌、「COM」は創刊3カ月の軟弱な児童マンガ雑誌という上から目線のマンガ観を押しつけたこと。私は「COM」の読者だったが、「俺は虫プロの人間じゃねえ」と思っていたのだった。
二つ目は、どうも集団のリーダーシップを取りたいタイプの御仁のように見受けられたこと。
生来、私は徒党を組むのが好きではない気高いローンウルフなので(笑)、人を折伏しようとするような話し方をする人物とは寸刻も同席したくね~というタイプなのだ。それ、21世紀の今日まで変わっていません。とはいうものの、小生も、言われっぱなし、黙ったまま、で済ませておく人間ではないので、それ相応の反論を実行したことは正直に書いておきます。
―てなエピソードもあり、“羨望と嫉妬”のS君とはクラスメイト以上の関係には至らず、孤高の〝マンガ家志望少年〟を貫かざるを得ませんでした(笑)
石森さんや秋田書店編集部が構想したような、読者間の交流には発展しなかった。
コアなマンガファンの交流は、数年後「COM」の『ぐら・こん』で活発になり、やがては、コミケに発展してゆくのだが、それはこの時期よりもう少し時代がくだってからのお話。
文中の時間は、数カ月後に「漫画アクション」、一年後に「ビッグコミック」の創刊を迎える1967年の春、青春真っ盛りの季節であります。
『マンガ家入門』(『続・マンガ家入門』を含む)は、後に「COM」に掲載された私のマンガ観の骨格を成す論考―峠あかねさんの『コマ画のオリジナルな世界』と共に、私のマンガ愛の血液にあたる部分を多量に生成してくれた名著なんであります。
また、付記めいてアレなんだけど、当ブログで、漫画・まんが・マンガ等の表記に「マンガ」を用いているのは、『マンガ家入門』で石森さんが自分の創っているものの総称を「マンガ」と表記したこの本に由来しているのでありました。
~ ねてもさめても、石森章太郎 Part 3 「『マンガ家入門』、まごうことなき名著」~ 了
※1:『世界まんがる記』…日本で海外旅行が自由化される前の1961年、若き日の石森章太郎の海外旅行記・1963年・三一書房刊(三一新書)。 石森先生の大人漫画調・イラスト調の挿画も楽しめる。
図1:Mercari 出品商品「石ノ森章太郎 続漫画家入門 訳あり」の説明画像をもとに一枚ものの画像を制作した。
図2:左:インターネット古書店 太陽野郎の「石森章太郎 世界まんがる記[P-6106]」の商品画像/右:「少年キング」1965年第6号に掲載された『009の内部構造図』。マンガ少年だった私は見飽きることなく幾度となく眺めていた。通販サイトAmazonの商品:同人誌「サイボーグ009研究叙説 EX1~3」の文中図版の1枚をDL、ペーストさせてもらった。