私の愛する虫プロの劇場公開アニメーションは、3作ある。
『千夜一夜物語』(1969年)― 手塚治虫は制作総指揮とストーリー構成で参加。
やなせたかしのキャラクターには惹かれるものはなかった。
『クレオパトラ』(1970年)― 手塚治虫は原案・構成・共同監督を担当。
せっかくの画聖・小島功のキャラが活きていなかった。
一枚画を動画にするということはこんなに難しいものなのか、と思った。
そして、『哀しみのベラドンナ』(1973年)。
前二作の“アニメラマ”とは異なり、“アニメロマネスク”とタグがつくのだが、その意味はよくわからない。また、手塚治虫は全く関与していない。
三作中これがもっとも優れた作品だと私には思われた。
本作について、30年以上前に書いた『Noir =ノアール』と題した自作の一文がある。
【Noir =ノアール】
すべての光を吸収し、その果てに生じる最も暗い色、すなわち暗黒。
暗黒や闇は精神面の表現にも使われるけれど、その色はもっとまがまがしくて、現実世界ではとても表現できそうにない。いわゆる黒とはきっと別の色なんだと思う。
黒といえば、「ベラドンナ」のタイトルバックを思いだす。
『哀しみのベラドンナ』は、虫プロの劇場用アニメーション、いわゆるアニメラマの第3作として、昭和48年に公開された作品だ。
不幸にして、興業的には失敗し、残念ながら虫プロ最後の作品になってしまった。
が、当時の私は、その黒地に白ヌキ文字一色のタイトルから始まる見事なアートの世界に惚れ込んでしまったのだった。

映画の意味の上からも、本編の絢爛たるアートを楽しむためにも、タイトルバックは黒でなければならなかっただろう。
LDジャケットの裏面には「色彩を抑えた静止画を多用して…」とあるけれど、前半は間違っていると思う。
私は、線と見事な彩色に酔ったのである。「セル画のベタ塗りを抑えた…」というのが正確な表現だろう。ビビッドも、パステルもダルも、そしてモノトーンのコンテ画も総てが美しいではないか。

美術を担当されたのは深井国さん。以後、私は深井さんのイラストが載った雑誌を集めることになってしまった。『漫画アクション』だったと思うが「大人のアリス」シリーズの切り抜きは、永い間持っていた。
深井さんのコンテ画は、トレスコでアタリを取って、パステルで味付けするといったような代物ではなく、確固たる世界がある。単純な線画にも同じことがいえて、つまりは、お上手なのだ。(素人がスイマセン)
それにしても、どうしてヒットしなかったのだろう。エロティシズムの表現も、大胆さと華麗さが加わり、見事な映像美が3作目にして出来上がっているのにね。日本では、大人のアニメは育たないのだろうか。
それともアニメーションを映画として観賞できないのだろうか。それとも、芝居のようにシナリオの運びが明確な作品しか大向こう受けしないという映画の宿命がアニメにもあてはまるのだろうか。
【1999年05月脱稿】
―以上が、四半世紀前に小生が書いた本作への想いである。

劇場公開から52年、国内外での本作への評価はようやく本来の高みに上ったようだ。
初期公開時から、海外での評価が高かった本作だが、国内では、知る人ぞ知るいわゆる通好みの隠れた傑作、不幸な名作と呼ばれてきた長い長い不遇の歴史に終止符が打たれる時が来た。
2016年、米国で、本作がリバイバル上映された。
米国CINELICIOUSPICS社が高額な予算をかけてオリジナルフィルムから劇場上映用4Kデータを製作し公開したのだ。
7月には台湾「2016台北映画祭」でも一日限定で再公開(4K版劇場公開)された。
まず、2024年、日本で以下の計画が持ち上がる。
「ベラドンナ原画復元計画」。
編集家の竹熊健太郎氏によるクラウドファウンディングプロジェクトである。
米国CINELICIOUSPICS社が製作した劇場上映用4Kデータから、原画作者であり美術監督を務めた深井国さんの監修のもと、美術原画を復元し、アート作品として蘇らせるという一見突飛な、それでいて素晴らしい、そして、壮大な計画だった。
2024年9月18日よりクラウドファンディングを開始したところ、4日後の22日には目標額を達成したという。
何ということだ。
こんなにも『哀しみのベラドンナ』を愛し、深井国さんの画をアートとして手に入れたいと願う人がいたのだ。
私が活動をしったのは、プロジェクトの完遂後、2025年の春のこと。
だからクラファンに参加することは叶わなかったものの、「ようやくだね」「やっとだね」という想いとともに、私の40年以上にわたる本作への感情は、ちょっと柔らかいものになった。
最後に1973年のベルリン映画祭における本作の評価の和訳(※1)を引用して終わりたい。
「これら出品された映画の中で、日本の長編アニメーション映画が第一に挙げられるであろう。それは、若き監督山本暎一と、才能ある、手堅い手法を持った天才的デザイン画家深井国の『哀しみのベラドンナ』である。(中略)中世のゴシック様式の挿絵から、ビアズリー、青年様式派、ポップアートまでに至る無数のスタイルが継ぎ目なしに溶け合って、超自然美と完全にエロティックな力が無限のシンフォニーを奏でている。映画史上に残る真に偉大な映画である。しかしながら、また多くの偉大な作品と同様に、沢山の誤解と無理解に出会うことであろう…」
作品誕生から50年。こんなことが起こるなんて…技術の発展の賜物か、人間の熱意の結晶か、人の世も捨てたもんじゃない…と思う。
そして、深井国さんがお元気でおられること、なによりな2025年の夏である。
※1: Wikipedia「哀しみのベラドンナ」( → )の「評価」の項目にこの記述がある。このドイツの批評家の名前は残念ながらWikipediaには出ていない。「ベラドンナ原画復元計画」の発起人である竹熊健太郎氏も、プロジェクト説明に際し、本作の世界的評価の代表例として、この部分を引用している。
※: 本稿のアイキャッチイメージと文中イメージ(*印の画像)について……PR TIMESというプレスリリースサイトの『哀しみのベラドンナ』50周年記念展(SOMSOC GalleryとUneMetaの共催)告知ページ内の虫プロダクションよりの提供画像7枚をDLさせてもらい、うち2枚を使用しアイキャッチイメージと文中イメージを自作しました。