ねてもさめても、石森章太郎

一本の短編SFが、私のマンガゴコロを、強烈に、ガッチガチに、とらえた。
「週刊少年サンデー」1963年:第49号に掲載された17頁の読み切り作品だ。
タイトルは『敵 ―THE ENEMY―』、作者は石森章太郎だった。

この作品に出会い、私は“石森章太郎フリーク”となり、マンガに割くことのできる予算と時間のすべてを、この方を中心に旋回させてゆくことになったのだった。
1963年11月、小生は小学6年生、私が最も愛したマンガ-『サイボーグ009』が始まる8カ月前ことでした。

石森章太郎さんのことは、『怪傑ハリマオ』(’60年「少年マガジン」連載)で知り、同じ年の『幽霊船』(’60年7月号~’61年8月号「少年」連載)で上手な人だなと思い、『秘境3000キロ』(※1)で何でも描く人だなと思い、それでもフリークにならなかったのは、定期購読していた「週刊少年サンデー」誌上で出会わなかったからというだけのことだろう。

手塚治虫、横山光輝、藤子不二雄、小沢さとる…同時期に上手な児童マンガ家達はたくさんいた。
―にもかかわらず、石森章太郎を絶対的に愛した理由は、何なのか。
やはり、画。
憂いを含んだ魅力的なキャラクター達、語りかけるような背景、絵のもつオシャレさや大人っぽさは他の人にないものだ。
そして、ダイナミックなコマ割り、考えられたフレーミングの1コマ1コマ、それらを組み上げて一本の作品にする構成力…と、今ならしたり顔で書くところだが、当時は、全部含めて「一番かっこええ!」。それしか言えなかった。

そんな“章太郎フリーク”の私が、この時期の傑作やと思う作品をひとつ紹介しておきたい。
少女誌に発表されたので後年まで読むことは叶わなかった作品、『あかんべぇ天使』(’63年「なかよし」正月大増刊号掲載)。ストーリー・コマ割り・構成、2024年の今観ても惚れ惚れとする。

十分に売れっ子マンガ家の一人であったものの、’63年時の石森さんのイメージは、オールラウンドプレーヤーで速筆、ゆえに多作、であるけれど、メガヒット、長編連載作品のない中編作家だった。
マンガ研究の進んだ今日、一般的にいわれているのは、青年の感性で描かれていた石森作品は、当時の子供(主に団塊世代)にはちょっと難しかったから―という説なんだけど、当時を生きたハズレ団塊の少年だった私には、この説の真偽・可否はよくわからない。


人生で3度行った蔵書の断捨離の波も乗り切り、物置から出てきた自家製「石森章太郎短編集」。冒頭で紹介した『敵 -THE ENEMY-』が綴じられていた。本稿執筆がきっかけでン10年ぶりに虫干しと相成った。

「無冠の帝王」といわれていた石森さんは、’66~’67年に大爆発する。
当時、私も貪るように読み耽った2タイトルが刊行されたのだ。
マンガ少年少女達の永遠のバイブル、正・続『マンガ家入門』、新書版コミックス界初のベストセラーとなった『サイボーグ009』第1巻 (秋田書店=サンデーコミックス)とヒットを連発、講談社と小学館、両社の漫画賞も連続して受賞(※2)、「マンガの王様」との呼称を冠されるようになった。時代の方から石森さんに歩みよってきたとしか思えなかった。

’70年が近づく頃、あれほど魅力的だった画が、じわりじわりと変わってゆく。
ベタを効果的に使うハイ・コントラストの画に魅了されていた私は、斜め線を使う頻度が増し、大ゴマが増え、コマ内の諸要素が以前に比して大きくなり、やがて、画面の緊張感が薄らいでると感じるようになり、巨弾100頁読み切りとか謳われている作品を観れば「以前なら50~70頁程度に収めてたよな~」とか思ったり、一本の描線に対するこだわりのようなものが感じられなくなって、一コマ一コマ味わうことができなくなったことに寂しさを覚えるようになった。
徐々に石森作品への熱は冷め、やがて追っかけをやめる。
’69年のぼくらマガジンの『民話シリーズ』、’70年の少年マガジンの『スカルマン』が最後期の作品となった。

’64年~’70年頃までの私は、「石森章太郎」という文字を認めれば片っ端から買った。
月刊誌、週刊誌、学年誌、新興の青年誌ーはいうに及ばず、芸能雑誌(だって『気ンなるやつら』が連載されていたのだから)や、石森夫人の写真が載っているというだけで女性向け(主婦向け?)月刊誌まで買ったのだった。
続々と刊行される新旧作の単行本(新書版コミックス)、虫プロから出た石森章太郎選集…まさに「ねてもさめても、石森章太郎」な日々だった。
俗にいうところの、作家のもっとも脂が乗り切った時期の数年間をフリークとして過ごせたこと、楽しく幸せな日々だったなぁ~と、現在では懐古できる…。

やがて石森さんは『萬画宣言』を発表され、石ノ森章太郎と改名された。
1989年のことである。
偏狭な読者だとそしられるかもしれないけれど、私は今も「イシノモリ」と発音できない。
私の愛した作品群の著者は初出のまま、いつまでも、ルビまでも、「いしもりしょうたろう」なのである。

もう石ノ森さんよりひとまわり以上長生きしちゃいました。
やはり創作者より読者の方が楽なんですね。噛み締めております…

~「ねてもさめても、石森章太郎」~ 了

でもまだ終わらないよ。『サイボーグ009』にまつわる話―を書かなくちゃ!!

※1:『秘境3000キロ』…『少年』連載作品(1961年9月号~62年3月号)。探検物なんだけど、作中のガンアクション、当時観ていたTV西部劇『ライフルマン』に影響されたのだろうウインチェスター銃を連射する描写がカッコよかった。ちなみに『ライフルマン』は、チャック・コナーズ主演の人気TV西部劇。サム・ペキンパーが製作・脚本に携わった作品として有名なTVシリーズで、他作品とは違うちょっとハードなガンアクションには、ペキンパーテイストを感じることができる。

※2:講談社児童漫画賞を受賞するのは、第7回-1966年(S41)受賞作:『ミュータント・サブ』『サイボーグ009』。小学館漫画賞を受賞するのは、13回-1967年(S42)受賞作:『佐武と市捕物控』『ジュン』。