つい最近知ったのだけど、俺たち世代のこと、『断層の世代』というらしい。
“俺たち世代”って、いつからいつまで生まれでくくるんよ?
1951年から1960年の間に生まれた者たちを、平成・令和の日本社会ではそう呼ぶようやね。
「断層」って何なん? 俺たちって「断層」なん?
ひょっとして、古~い因習を引きずることなく、戦後民主主義社会の理想を体現する、とってもスーパーな全く新しい日本人グループで、それ以後の日本社会の規範となった人達のこと……
ンッなことあるかい!!
何ゆえ「断層」と名づけられるのか、あれこれ探してみたが出てこない。
’46~’50年生まれの団塊世代、’61~’70年生まれの新人類世代、その間に出生した分類しにくい奴らといった程度の意味で「断層」なのか? それやったらちょっと寂しいね。
世代でくくれる“塊”と認定するならば、その論拠―UniquenessとかOriginalityとか、いわゆるIdentityが欲しいもんだ。
答えは、直接・間接を含む戦争体験の有無、大東亜戦争敗戦が落とした影の濃度であるらしい。
俺たち断層世代には、その影――影響がほとんどない。
木切れを持って、前を行く人達との間にス~と横一線のラインを簡単に引くことができる。
前後を分つ線、そうか、これが断層、断層線だ。
私が生まれたのは、日本が連合国との間で、サンフランシスコ平和条約に調印した年、断層の世代の最前列、1951年だ(条約発効は翌52年の4月28日。日本の主権回復と7年におよんだ連合軍による占領が終了した)
だから、妙な言い方をするけれど、ピュアな戦後っ子であることは間違いない。
’50年代後半の政治運動も、小学低学年の頃だったから、強烈な印象は持っていない。
「安保反対!」のシュプレヒコールも遠くから響いてくるニュース音声であり、デモの様子も後年になってニュース映像から学んだ世代なんである。
だから、“ポスト団塊の世代”にして高度経済成長期に育った“経済世代”。
経済的・文化的に余裕が出てきた時代だからこそ生まれた“元祖オタク世代”とかいわれちゃうと、ホンマやな~と肯定するしかない。
例えば、’59年の『少年サンデー』『少年マガジン』創刊は、団塊世代が小学校高学年になったタイミング、’64年の『平凡パンチ』は、彼等が高校生になった時期、その頃発売された資生堂のMG5は、服はアイビールック、頭髪は七三分けヘアで決めたい彼等をターゲットにしたヒット商品…といった具合。
’70年代に入ると成人した彼らは結婚ブームを起こし、ブライダル産業や住宅産業を発展させる。「ニュー・ファミリー」と呼ばれた彼らの住まいとして、大都市郊外にはニュータウンが続々と造成・建設された。
クルマもオーディオやAV機器も海外旅行も…そう、高度経済成長時代を彩った多くの商品やサービスは、まず「団塊」向けで始まり、普及期に入り、おこぼれではないが、それらを当たり前のものとして享受していったのが我々「断層」。
こう書いてくると、ええとこばっかりの極楽蜻蛉世代のように聞こえてしまうね。
戦争体験はないけれど、敗戦の事実はきちんと教育されたと思う。
小学校入学から中学校卒業まで、ゴールデンウィークに入る前には、天皇誕生日と憲法記念日と子供の日の意義とかを、軽めではあったけれど、毎年聞かされた世代でもあるのだ。
「日本国憲法は、(制定)当時の世界の最先端の、人類の良識を集めて作られたものだから、君たちはその理念を体現する生き方をし、これからの日本を作りなさい」
中学校の頃だったか、教えられたのは、概ねそんな教育だった。
だから、上の「古~い因習を引きずることなく、戦後民主主義社会の理想を体現する、とってもスーパーな全く新しい日本人グループ」というのは、結構マジで書いている部分だよ。
私は上の教えを額面どおり受け止めて生きてきたつもりである。
そして俺たち世代も共通の感覚として、それを堅持し……とは、いかないのだ。
’51年から’60年に生まれた人間全てが同じ考えを持つなんてあり得んもんね。
’54年生まれで、後に第90・96-98代総理大臣になった人物がいるけれど、この人の考えと私のそれとは全く相容れないものだった。
くくり方で色々変わる、世代論。
思い出話や話のとっかかりに使用する分には不満はないが、こいつを物事の判断基準に用いるのは愚かやね。このザル、目が粗すぎる。
人間の思想や志向、あるいは機微などは、やっぱり、氏やら育ちやらを主成分にして出来上がるものなのかな~と、ちょっと無力感にとらわれたり………………なんてね。