巨大山塊、白土三平

昔々、コアなマンガファン向けの雑誌がふたつ、「ガロ」と「COM」があった。
その「COM」の何号目かに『漫画火山連峰』という記事が掲載された。
作品の傾向や画風、師弟(協力)関係などをサークルの大きさと文字色で分類しラインで結んだ相関図で、当時のマンガ・劇画界全体を見渡すことができるスグレモノだった。

手塚治虫を中心に、横山光輝グループ、石森章太郎や水野英子・藤子不二雄を含むトキワ荘グループ、さらに主だったすべての児童マンガ家たちが、それぞれ標高を誇りながらも連続した山脈を形成しているイメージの“児童マンガ山脈”に対し、それと対極に位置し険しい山容の峰々が連立する“劇画連山”グループがあり、中でもひときわ急峻な大山岳地帯のイメージを僕に与えていたのが白土三平さんだった。…ように記憶している。(※1)
先生と書くべきかもしれないけど、先生では逆になんか近しく思えて、アカンような気がするのだ。もっともっと遠くにいる人、どっちかといえば、仙人とか道人とか……

最初に出会った白土作品は、『サスケ』。
光文社の「少年」に’61年7月号から’66年3月号まで連載された同作、私の人生でいえば小3から中2にあたる。
’64年からは「少年ブック」で『真田剣流』と出会い忍者に夢中になり、’65年から「マガジン」に連載された『ワタリ』も愛読した。
小・中学生時代、『サスケ』~『真田剣流』~『ワタリ』と読み継いではいたが、『忍者武芸帳』のことはまだ知らなかった。

前期代表作『忍者武芸帳―影丸伝―』は、貸本で全17巻、’59年12月~’62年10月に刊行された。
Webメディア「遊刊エディスト」のシリーズ記事【マンガのスコア】の第21回『白土三平 レジェンドの中のレジェンド』(’21/01/28付け記事)で、執筆者・堀江純一さんが以下のように書いておられる。

__私もことあるごとに「天才だ」だとか「傑作だ」だとかいう言葉を濫発してしまい、読者の皆さんの信用も、そろそろなくなってきているかもしれません。しかし、これだけは信用していただきたい。白土三平の『忍者武芸帳』こそ、戦後日本マンガ史を画する屈指の傑作です!
そして、
__ここで我々は、現代マンガという表現形式が、明確に一段高いステージに上がった瞬間を目にすることができます。それは終戦直後の手塚マンガの出現に次ぐぐらいのドラスティックなイノベーションでした。

堀江氏の書かれている通りである。(全く同感、ゆえに長文を引用させていただいた)
月刊誌の連載作が8Pとか12Pの時代に、一本の物語を、ざっくりとした計算だけど貸本・1巻・150Pを2カ月に1回リリースしてゆく――なんというエネルギーだろう。当時そんな物語を構想し執筆できる作家はいなかった。
『忍者武芸帳』は当時のインテリ層からファンを広げ、白土さんは社会思想をマンガで表現できる巨人作家との評価と名声を得たが、一方で“残酷描写”で有名になり、PTAなどから非難の的にされてしまった。
私が『忍者武芸帳』を読むのは’66~’67年にかけて、小学館から刊行が始まった新書判コミックスによってだった。
当時私は中3、度肝を抜かれたことはいうまでもない。

’64年、白土さんは自由に描ける場を求め、長井勝一さんと「ガロ」を創刊、後期代表作にしてライフワークである『カムイ伝』に着手する。
当初は部数が伸びず、実質的な発行人だった氏は3年間無稿料だったそうだ(WebSite『白土三平絵文学』(※2)による)。自身と赤目プロや白土山塊に集う人々の収入確保のため、一般マンガ誌に、あまり手足や首が飛んだりしない、世間から苦情の来にくい、エンターテインメント色の濃い“忍者マンガ”を発表する。それが、貸本漫画や「ガロ」を知らなかった当時の私を大いに楽しませた『真田剣流』『ワタリ』『カムイ外伝』だったのだ。

白土三平さんは、『カムイ伝』を連載開始以来2年間、毎月ほぼ100頁の連載を続けている(前出『白土三平絵文学』)。上のような情況だから、その仕事量はとんでもないものだったろうね。
そして1971年7月、「ガロ」の『カムイ伝』連載を終了する。連載7年、全6000頁におよぼうかという超大作『カムイ伝』の第一部が完結したのだった。
物語は救いようのない絶望の結末で閉じられ、一片のカタルシスも与えられないまま読了した当時の私は、真に疲れて、へたり込みそうになった。
『カムイ伝』、その後長~い潜伏期間に入る。

’60年代=“政治の季節”。時代とのシンクロニシティーゆえに白土ブームは燃え上がった。
時代が変わり、変節の意識もないまま’70年代に入ると、社会は落ち着き“安定成長期”といわれ、多くの日本人が大衆・消費社会を満喫し“一億総中流の時代”が80年代いっぱいまで続いた。
当然のことながら’70年代以降、白土作品の露出は極端に減った。
多くの人が“そこそこ暮らせている”と感じている時代には、『カムイ伝』のような人間とその社会の根源を問うような作品は、…マンガに娯楽だけを求める人にはシンドイのだろうね。

『カムイ伝 第二部』が始まるのは、1988年。第一部の終了から17年後のことである。
にしても、ちょっとあきすぎだよね。
私は、方法論を模索しておられたのではないかと思っている。
自身の築いてきた、沸騰するような人間集団とその社会を描く、巷間いわれてきた「唯物史観的マンガ」のメソッドでは「第二部」は描ききれない、あらたな手法が必要と探求しておられたのではないか。

というのも、「これ、カムイ伝第二部ちゃうのん?」と思った作品が「ビッグコミック」に載ったからです。それは、1975年に始まった『神話伝説シリーズ』。
お話も絵もコマ割りもフキダシもナレーションも、マンガってなんや、どこまで描けんねん、と根源的にマンガ表現を問い詰めているような作品群だったから。

2020年以降、露骨に世界は悪くなっていってる――と感じているのは私だけではないだろう。
50年ほど歴史が巻き戻されたかのような今日。各国のエスタブリッシュメント達の愚かさが露呈し、力なき人々の怨嗟の声が日々大きくなってゆく…。
『忍者武芸帳』に再びスポットをあてねばならない時代になったのかもしれないね。
最後は影丸のことばでしめよう。

「われらは遠くから来た そして遠くまで行くのだ………」


マンガ雑誌を購入すると、お気に入り作家別・作品別にファイリングしていた。
画像は 68年「ビッグコミック」に掲載された『孤島の出来事』他を綴じた自家製白土三平短編集。

※1:『漫画火山連峰』…今回、ネットから実物情報を探すことができた。別に1項を設けて報告したいと思う。

※2:WebSite『白土三平絵文学』…1999年から運営されている、作家・白土三平の作品に関する情報サイト。管理人は明記されてないが、親族のどなたかと思われる。