子供の頃見たり聞いたり読んだりして、何とまあぶっ飛んだ作品だろう、とってもついてゆけないやと呆れ返った作品を二つメモっておきたい。
その2本とは、阪本牙城作の『タンクタンクロー』と杉浦茂作の『猿飛佐助』である。

まずは、阪本牙城さんと『タンクタンクロー』。
Wikipediaによると__『タンクタンクロー』は、大日本雄弁会講談社(現・講談社)の雑誌『幼年倶楽部』に、1934年1月号から1936年12月号にかけて連載された__とある。
また、たましん美術館のHP(更新日:2025年9月12日)『生誕130年 阪本牙城 タンク・タンクロー展』の記事によると、
__’51年から学研の「三年ブック」「二年ブック」に連載し、’52年12月号で最終話を迎えている。
とある。
いずれにしても、1951年生まれの僕(爺さんだが)には早すぎる作品で知っているはずがないのだが、なぜだか知っている。
なぜなんだろうと考えること、数秒。
そう、タンクタンクロー飴や!と思い出した。
作品はちょい齧りでも、「景品付きお菓子」でお馴染みだったのだ。

タンクタンクローとは何者か? 再びWikipediaを引用、
__タンクローは上下前後左右に8個の丸い穴のあいたボウリングのボールのような鉄球状の胴体から、チョンマゲ頭と黒い長靴ばきの足を出した格好の天下の豪傑。胴体の穴から、ピストルや日本刀、飛行機の翼やスクリュー、大砲、箒など何でも突き出す事ができる。ロボットという見方もあるが、内部構造や正体については作中では最後まで謎のままで説明されていない。
__とある。
当時の私は(今もそうだが)ロボットかどうかという謎にはあまり興味はない。
タンクローはタンクローという生物でいいではないか。
体全体がブラックボックスでできているとんでもない野郎なんである。
この発想がすごい!と今ならいえるかな。
子供の頃は、訳のわからんやっちゃな~とあきれつつも嫌いではなかった。
阪本牙城さん、1895(M28)年12月生まれ。
1939(S14)年満州(現中国東北部)に渡り、満州国政府開拓総局に勤務し活動されたが、1945年(S20)年のソ連の侵攻により帰国を図るも北朝鮮で一年間を過ごす。1946年、日本に帰国。復員後は禅に傾注、1956(S31)年漫画家としての筆を折り水墨画に専心し、1973年8月77歳で逝去された。
―が、超・端折りプロフィールということになる。
そして、杉浦茂さん。
1908(M41)年4月生まれ。戦前から漫画家として活躍し、70歳を超えても精力的に活動され、90年代まで現役を貫いた方だ。

※3:「おもしろブック」1955年12月号の付録
終戦間際に招集され、上陸してくる米軍相手の、今でいう自爆テロの如き訓練を熊本県で受けていたが配線を迎え、無事復員されたとWikipediaにある。(すごい人生だなと、ただ、読むしかないのだ)
昭和21年に漫画家活動を再開、S28年(1953)集英社の「おもしろ漫画文庫」という書き下ろし漫画シリーズの21巻目として『猿飛佐助』を執筆した。
これが大好評で、『おもしろブック』に連載(1954年3月~1955年12月)され、代表作となった。
以後、1958年までの 5年間に、後の代表作となる様々な長編漫画が生み出された。その作品世界は、とにかくシュール。Webメディア「遊刊エディスト」の【マンガのスコア】のLEGEND31『杉浦茂 超現実の童子』を引用させてもらいたい。(※4)
杉浦マンガは、とにかく逸脱・脱線のオンパレード。チャンバラ時代劇の最中にいきなり異空間に飛んでしまったり、突然、アパッチ族が攻めて来たり、何の脈絡もなく超現実的な怪物が現れたり、絵のリアリティラインもバラバラで支離滅裂です。こんなシュールでアバンギャルドなマンガは空前絶後でした。当時も全く隔絶していましたし、今見てもやはり斬新です。いつの時代も、杉浦マンガは「最先端」であり続けました。古びないのは、実は、どの時代でも新しくなかったからでしょう。全くもって杉浦茂はワンアンドオンリーの作家だったのです。
というものである。
「ワン・アンド・オンリー」痺れる表現です。芸術家にとって最高の賛辞と言えるでしょう。
続けて、
杉浦茂が少年誌を中心に活躍していたのは、実は非常に短く、いわゆる「奇跡の五年間」と呼ばれている1954年から58年にかけての一時期です。
この時期に、今でも彼の代表作とされる「猿飛佐助」「少年西遊記」「ドロンちび丸」「少年児雷也」のような作品が描かれました。このころの杉浦茂は年齢にして46歳から50歳。四十代後半に至って、ようやく全盛期がやって来るとは、かなりの遅咲きです。
とにかく、この「五年間」の仕事は質量ともに常人のレベルをはるかに越えています。
と書いてあります。
1959年、週刊少年サンデー&マガジンが創刊され子供マンガ界が週刊誌時代に突入してゆく。
杉浦さんは上の超繁忙期の疲労の蓄積によって体調を崩されたこともあったのだろうが、とにかく週刊誌ペースがあわず断っておられたようで、段々と第一線から引かれていった。
杉浦作品のファンに名を連ねる一流の創造者たち。
赤塚不二夫、みなもと太郎、日野日出志、タイガー立石といった同業の皆さん、筒井康隆、かんべむさしのSF作家達、ミュージシャンの細野晴臣、アニメ界からは宮﨑駿。すごい人達の頭をかき回していたんだね。
皆さん全員ワシより年長だ。「杉浦茂の黄金期」に間に合った世代の最後尾が、団塊の世代なんだろうね。ぶつくさ堂主人、つまりワタシがマンガ愛読人を開始するのはさらに数年後のこと。
だから、「あまり知らない」のも無理はない。
私がまとまった形で杉浦作品を読んだのは、多分、1969(S44)年の虫コミックス版の『猿飛佐助』だったのではないかと思う。
もうこの頃は、ストーリーマンガ・劇画が、子供漫画界でも主流だったので、そっちを一生懸命追いかけていた10代後半のワシ、『猿飛佐助』は立ち読みで済ましちゃったようにも記憶している。
阪本牙城と杉浦茂。永らく記憶の底にあり、沈澱していたお二人の事を書いた。 70代も半ばを迎えた今日、両作を読み返したら、上に列記した人達が受けたであろう衝撃や斬新さや面白さを同様に感じることができるだろうか。
今度は、こっちが老けちまって、頭カチカチだから、やはり、無理か……(笑)

※2:タンクタンクロー飴。カル素製菓株式会社が販売していた菓子。パッケージに入っている景品引き換え券で点数に応じた景品がもらえ、マーク合わせ券でタンクロー飴と引き換えができる仕組みだった。。写真はYAHOO!オークション「当時物 賞品引き換え券 サービス券 タンクローのマーク合せとサービス券 カル素製菓株式会社 5枚 菓子」(オークション終了)よりDLさせてもらった。
※3:集英社の月刊誌「おもしろブック」の1955年12月号の付録 『大ゆかい漫画物語 猿飛佐助』画像。Site日本の古本屋・海星堂書店 南店さんのページよりDLさせてもらいました
※4:Webメディア「遊刊エディスト」【マンガのスコア】(執筆者は堀江純一さん)は、私の敬愛する「本格的マンガ分析」コンテンツです。今回も長々と引用させていただきました。ありがとうございます。
※5:虫コミックス版『猿飛佐助』。メルカリShops(SOLD品)の画像をDLさせてもらいました。

