『ウルトラQ』が始まったのは、1966年のお正月2日から。
『鉄腕アトム』の開始以来TVアニメが握っていた子供番組の寡占状態は、『ウルトラQ』の登場によって、この日、丸3年で終わりを告げた。
人は慣れるものであり、飽きるものなのである。
「子供だって同じだよ」とは、当時の俺たちの声。
最初は毎週観ることができること自体が驚嘆にして悦楽だった。が、しかし、同じ刺激を何度も受け、似たようなものを多量に消費してゆくと感受性も鈍化する。すなわち、『アトム』と似たり寄ったりの子供向け「テレビまんが」に食傷気味になった頃合いで、ドカンと炸裂したのが本作『ウルトラQ 』だったのだ。
本作の企画は本来、本邦初の〝SF怪奇アンソロジー〟であったそうな。
当時の子供達の〝SF怪奇アンソロジー〟学習状況は、米国製TVシリーズの『アウターリミッツ』(※1)や『ミステリー・ゾーン』(※2)の両作で、一般教養コースは十分習得済みだった。
そして、SFモノに欠かせない特撮・メカに対するフェチレベルの“浸透状況”も概観すると、テレビでは米国の海洋冒険SFシリーズの『原子力潜水艦シービュー号』(’64年~’65年:NET系)、英国のスーパーマリオネーション作品である『スーパーカー』(’61年10月~’62年4月:NTV系)、『海底大戦争 スティングレー』(’64年9月~’65年3月:フジテレビ系)(※3)。マンガでは、メカ・フェチ児童を大量増殖させた大ヒット作、小沢さとるさんの『サブマリン707』(’63年2月~’65年4月:少年サンデー)。さらに映画に目を転じると、東宝では’63年に『妖星ゴラス』『マタンゴ』『海底軍艦』の3本のSF作品を公開し、’64年12月には、ゴジラシリーズ『三大怪獣 地球最大の決戦』でキングギドラを登場させ怪獣バトルもののピークを迎えている。また65年の11月には、大映の『大怪獣ガメラ』が公開されている。…といった状況だ。
基礎教養の浸透状況は、十分である。
だから、取り立てて“怪獣もの”でなくても、受け入れる素地は十二分にあったけれど、そこは何しろ〝ゴジラ〟を産んだ〝特撮の国〟。
第一話からしていきなり「ゴメスを倒せ」―ゴメスとリトラの怪獣バトルなんだもの。
“怪獣もの”としてヒットするのは当たり前だし、後半になるほど怪獣色が濃くなっていったのも納得だ。
『ウルトラQ』は、言ってしまえば「毎週、ゴジラと特撮が見れる」に尽きる!―と私は今でも思っている。
人物にしろメカにしろ、背景にしろ、TVアニメの画に薄っぺらさを感じ始めていた子供達に、厚みを持った、つまりフィクションの中とはいえ〝リアルな〟メカや怪獣が毎週届けられた、映画クオリティーがテレビに登場したのだから、人気が出ないわけがない。
しかも、TBS系日曜午後7時「武田アワー枠」(※4)での登場だ。多くの家庭で、この時間のチャンネル権は子供にあったはずで、伝統の武田枠は中でもプライオリティーが高かったはずだ。
果たして、放映が始まると、ほとんどの回で視聴率30%超を記録する大ヒットとなり、その波は次作の『ウルトラマン』まで続き、後年、“第一次怪獣ブーム”と呼ばれるようになる。
『ウルトラQ』全27話が終わろうとしている7月10日、次週からの「空想特撮シリーズ」新作の予告番組がセットされた。
その名も『ウルトラマン前夜祭 ウルトラマン誕生』。
__’66年7月9日に、放送に先駆け、杉並公会堂で行われたイベント『ウルトラマン子ども大会』の中継VTR録画番組。カラー放送だったと伝えられるが、当時のマスターテープの現存が確認されていないため、詳細は不明。__
とWikipediaに記載されている。
が、私の記憶では、カラーで見たことになっている。
赤と銀色の巨人が、怪獣と対峙していた。一分程度の映像だったと思う。
――として長らく生きてきたが、よくよく、じっくりと記憶を手繰り寄せる作業を行っているとだんだんと怪しくなってきた。
確かにウルトラマンが、怪獣と闘っていたシーンは見た。
しかし、淡グレーと濃いグレーのツートンだったのではないか、赤と銀は後日の記憶の上塗りではないか、と詰め寄られたら、反撃できない自分がいる。
当時カラーテレビは、ン十万円もする筐体で、裕福なお家にしかなかった。
当然、私の生家にあるべくもなく、近所の電器店の店頭か、どこかのお家で見たのか。
そんな可能性より、自分チの白黒テレビで観た記憶が、本編を繰返し観ているうちに現在の形=彩色記憶になったと考える方が、自然だよね。
ウルトラQ:’66年1月2日~7月3日。ウルトラマン:’66年7月17日~’67年4月9日放送。
60年にならんとするウルトラ・ワールドがこの年から始まったのだった。
最後に、個人的なmemoを記しておこう。
1966年1月2日『ウルトラQ』第一回放送を、リアルタイムで僕は観ていない。
この日、私は友人達と一緒に大阪市・阿倍野区の近映大劇場へ『007/サンダーボール作戦』を観に行っていた。
だからどうやねん、ちゅう話やけどね。ぶつくさ堂の歴史として記しておく……
※1:アウター・リミッツ (1963年)…日本では、1964年にNETテレビ(現・テレビ朝日)とその系列局(ANN 発足前のネット局)が第1シーズンを『空想科学劇場 アウターリミッツ』のタイトルで、1966年に日本テレビとNNN 加盟局が第2シーズンを『空想科学映画 ウルトラゾーン』のタイトルで放送した。
※2:トワイライト・ゾーン (1959年)…日本では『ミステリー・ゾーン』の邦題で知られる。日本テレビ系列で’60年4月10日から12月15日まで『未知の世界』との邦題で第1シーズンが、’61年10月4日から’67年12月23日までTBS系列で『ミステリー・ゾーン』の邦題で残りのシーズンが放送された。
※3:スーパーマリオネーション…ジェリー・アンダーソン率いる「APフィルムズ」の特撮人形劇のことをさす名称。傑作『サンダーバード』は、『ウルトラQ』と同じ’66年の4月から’67年4月までNHKで放映された。
※4:「武田アワー枠」は、『月光仮面』(58年2月~59年7月)、『隠密剣士』(62年10月~65年3月)などを送り出してきた子供番組の名門中の名門だ。’65年末までは『新・隠密剣士』が放映されていたが、視聴率低迷により3クールでの打ち切りが決定され、後に据えられたのが本作だった。(多分、同時刻のフジテレビ系『W3』に数字を取られていたのであろうと想像する)