『隠密剣士』、制作は前回も書いた宣弘社プロダクション。62年10月から65年3月までTBS系毎週日曜夜7時からの30分(※1-※2)、全10部(=計128話)に渡って放映され、日本中に爆発的忍者ブームを巻き起こした傑作時代劇シリーズとして、ことに有名である。
当時の児童達の、いや大人も含めた日本人達(笑)の忍者像は、江戸時代から続く「児雷也」のイメージ、大蝦蟇(ガマ)や大ナメクジを操り大暴れ、はたまた大正期の立川文庫の“忍術使い”のイメージ、すなわち巻物を口にくわえて、印を結び、九字を切り、呪文を唱えて“術”をかける…って、これ妖術使いとか魔法使いじゃん、俺たちの思っている“忍者”ではない。
では今時の忍者、世界的ミステリアス・キャラの『Ninja』のイメージを決定づけたのは誰なん?いつなん?
それが本作、『隠密剣士』なのであります。(解説調になっちゃったけど)
忍者が登場するのは、63年1月から始まった「第二部 忍法甲賀衆」から。
本作に登場する忍術は、「水蜘蛛の術」が代表するように、基本的に合理的(と思えそう)なもの、そして忍者の多くは身体能力を磨きに磨いた人間、つまり体術のエキスパート達であった。
とりわけ視聴者にささったのは、忍者刀の使い方などの殺陣の工夫、卍手裏剣の考案、手に載せた十字手裏剣をスライスするようにして連射するスタイルの創出(※3)などによって、完成されたスピーディなアクション。そこには、魔法合戦とは明らかに違う、リアリティーあふれる“忍者”がいたのだ。
それらは視聴者の心を大いに掴み、大ブーム、子供達は厚紙やブリキで十字手裏剣作りに精を出し、路地裏を忍者走りで駆け抜け、神社やお寺の境内の木陰や盛土の向こうからジャンプしながら出現し、ちょっとした広場があれば、逆手ぎりで斬り合い、手裏剣のスライス投げポーズをしたのだった。
本作は、海外でも放映され、オーストラリアや東南アジア各国で大人気に。特にオーストラリアでは、64年から『The Samurai』のタイトルで放送が始まり人気に爆発、オーストラリアの子供達の間でも、日本同様「忍者ごっこ」が大流行したそうである。
『隠密剣士』の番組グッズも飛ぶように売れ、現在の金額で10億ドルも売上げ、主人公を演じた大瀬康一が現地を訪問した時には、メルボルン空港に7千人のファンが殺到し、ビートルズの出迎え人数を上回ったというから驚く。また、その後20年以上にわたって再放送されていたというから、とんでもない数の忍者ファンを育成してくれたこと、疑うべくもない(※4)。
その後の同国における、スポーツ・チャンバラの隆盛も決して奇異なことではないのである。
このようにして、東南アジア、オーストラリア、アメリカ…世界中の子ども層から『Ninja』は広がり、あまりお勧めできない『007は二度死ぬ』(67年)もありつつ~の、ショー・コスギ氏の『燃えよNINJA』(81年)で、そのNinja像が完成するのである。
_下の巻につづく
※1:TBS系毎週日曜19時からの30分間、武田薬品一社提供の番組枠。『タケダアワー』と称されるようになった。
※2:筆者の視聴していた大阪では、6chでうつっていた。いわゆるテレビ局のネットワーク(系列)のねじれ現象によって、関東で毎日新聞社と関わりが深かったTBS(4ch)は、関西では朝日新聞社と関わりの深い朝日放送(6ch)と繋がり、逆に関東で朝日新聞社と関わりの深いNET(現・テレビ朝日_6ch)が、関西で毎日新聞社と関わりの深い毎日放送(4ch)と繋がっていた。「腸捻転」と呼ばれたこのねじれは、1975年3月31日まで続いた。
※3:リアリティがある忍者や忍術の設定の多くは、脚本家・伊上勝さん、「刀を下向きに持つ忍者の構え」、「卍形手裏剣」「忍者が掌に載せた十字手裏剣を連射する」などを考案したのは企画・西村俊一さんとのこと。
※4:Wikipediaの『隠密剣士』のページ、「隠密剣士(大瀬康一版)」の文中に「また、2012年4月に日本テレビ系列で放送されたバラエティ番組『世界まる見え!テレビ特捜部』では、当時のオーストラリアでの人気ぶりが紹介された。同国では……」という記事がある。