ふるさとの映画館・補遺

前回の投稿を書き終えた後、なんとはなしに柏原市の写真を検索していたら、同市の公式サイト内に「写真で見るちょっと昔の柏原市」というページを発見した。
その■昭和30年代(1955年~)、■昭和40年代(1965年~)、★昭和50年代(1975年~)の三項目はまさにオイラの人生のアーカイブ。子ども時代の、あの頃の風景が広がっています。

その「昭和30年代(1955年~)その2(2021年10月更新)」というページに、探していた写真を発見。「今町1丁目 映画館ラッキー」「大正3丁目 映画館東映」と題された二枚がそれである。

「ラッキィ」は、「ラッキー映画劇場」という名前で、劇場名の下に東映・大映・新東宝のロゴプレートが見える。子どもの頃は、こんな上まで見ておりませんでしたわ(笑)

「ヤマトカン」は「柏原東映」という劇場名で写っている。
正面入り口の上には、「賀正・1960年」という装飾文字が文字が見える。
かかっている作品は分かりづらいけれど、目を凝らしていると「霧ある情事」「槍一筋日本晴れ」…のように読めてくる。いずれも1959年の前者が松竹、後者が東宝作品である。
入り口に向かって左サイドの看板は次週公開予定作品か、石原裕次郎の「男が命を賭ける時」事件記者シリーズの「深夜の目撃者」(いずれも日活作品)、その横にうっすらと「水戸黄門」などという文字も見えている。

1960年正月といえば、小学校2年生の冬休みである。
この数年の後「ヤマトカン」を名乗るのか、そもそも小生のフィクションなのか…霞の彼方なのである。

「映画館ラッキー」の写真:柏原市HPには、3倍の画像が掲載されている。
「映画館東映」の写真:柏原市HPには、3倍の画像が掲載されている。
柏原市HP「写真で見るちょっと昔の柏原市」の「昭和30年代(1955年〜)その2」はこちら
この商店街の奥を左に折れ、少し行った辺りに小生は住んでた。