私の“狂四郎”は、1972年 田村正和版

眠狂四郎は、戦後に誕生した時代劇キャラクターのNo.1であろう。
映画・舞台・TV、大量に創られているから、人それぞれの出会い方で、それぞれ極めつきは違ってくるもの。私にとっての眠狂四郎は、映画では市川雷蔵、TVでは田村正和である。
だから、My favorite JIDAIGEKI on TV ―私のお気に入りTV時代劇―の第三夜は、田村正和主演『眠狂四郎』。

毎週自宅で観ることができた本作は、当時絶頂だった木枯し紋次郎や必殺シリーズの興奮とは別に、毎週ゾクゾクして見ていたのだった。
話題になっていた女優陣のサービスカットはもちろんだけど、私のゾクゾク部分は、田村正和のカッコいい“立ち回り”がその大部分を占めていた。
正和氏が亡くなった時のデイリー新潮の記事で、中島貞夫監督がこんなことを言っておられる。(※1)

「良い俳優さんでしたよ。やっぱり親が親だから、何が大切なのかが分かっていましたからね」
「たとえば立ち回りでの『残心』を大切にしていました」

残心、小生あまり殺陣には詳しくないけれど、多分あのことを言うのだろうと推測はできる。
立ち回りの流れの中で、一つのアクションから次のアクションに移る間の姿勢、相手を斬った後の体勢が、次の攻撃に備え背後・周囲に気を配っている態勢になっている…そんな立ち回り演技のことだろう、きっと。
田村正和の立ち回りには、それが感じられた。
だから狂四郎は強いのだと思えたし、そしてすこぶるカッコよかったのである。

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本作は、フジテレビ系で1972(S47)年10月3日から1973年3月27日まで全26回が放送された関西テレビ・東映制作の連続時代劇。
関テレ・東映の制作なのに、安田公義、田中徳三、井上昭、池広一夫という、いずれも市川雷蔵の『眠狂四郎』シリーズを撮った“大映の監督”たちが全26話中の17話を演出しており、映像クオリティが高いのも頷ける。
中でも、斬新な演出が特徴の井上昭はシリーズ中7本を担当、加えてタイトルバック―そう、赤と黒のコントラストが鮮やかでかっこいいあのタイトルバックだ―も担当して大活躍している。

東映作品なのに大映の監督?―の謎は、やはり1971年11月の大映映画の倒産やろね。
本作の制作時期は、大映で働いていた監督や制作スタッフの多く―大映京都のクリエイター達が、倒産という激流の中「映像京都」という会社を設立し、ワシらは映画を作るしかないんじゃぁと歯を食いしばっていた時期にあたる。
映像京都本体は翌年元日から始まる『木枯し紋次郎』を総掛かりで作っていたんだろうけど、それでももっと仕事を―との思いから、上記の監督達を派遣していたのではないかというのがオイラの想像。もちろん、東映さんからの要請はあっただろうけど、近所やし(笑)

そして、’72年1月1日から『木枯し紋次郎』(フジ・関テレ系)が始まり、9月2日からは『必殺仕掛人』(TBS・朝日系)が始まる。
この2本、殺陣もお話も従来の時代劇とは一味も二味も違う新機軸を打ちだした作品、故に大評判になっていたもの(紋次郎)と、これからなってゆくもの(必殺シリーズ)だった。
10月から始まった『狂四郎』は、むしろ従来型の時代劇、剣豪モノ・剣客モノの系譜に入るもの。
それゆえ、立ち回り・殺陣のカッコ良さがますます重要というわけ。
そういう状況下であったけれど、前出の監督達や脚本家達の努力もあって、前二作に埋没することなく大健闘、手堅い評価を獲得する作品となった。

ここからは余談だけれど、本作の放映開始前、シバレン先生(原作者・柴田錬三郎)が田村正和に直々に円月殺法を伝授するといった宣伝番組があったように記憶している。シバレン先生も田村狂四郎を応援していたんだね。

最後にオイラの長年にわたる“記憶違い”もメモしておこう。
記憶違い①:狂四郎の居候先、常磐津師匠の文字若の演者は、姫ゆり子。
記憶違い②:本作終了後、狂四郎ロスに陥っていた小生の慰めになったのが、同じく関テレ系ではじまった『岡っ引きどぶ』(主演:山崎努)だった。なぜなら、どぶの主人・町小路左門を田村正和が演じていたから。

以上の2点、全くオイラの夢想である(笑)
① 実際は野川由美子だった。姫ゆり子は、1967年の平幹二朗版『眠狂四郎』の文字若だった。(※2)
② 原作者・柴田錬三郎が『どぶ』で町小路左門を演じていた田村正和を観て、この人なら狂四郎の映像化を許可するといったそうなので、『どぶ』の後が『狂四郎』、順序が逆である。(※3)

①に関しては、平幹二朗の狂四郎が全然記憶になく、文字若の姫ゆり子だけ覚えている。平さんは、三匹の桔梗鋭之助の記憶なら一杯あるんだけどね。姫ゆり子さん、好きだった女優さんの一人のだったのかもしれない。
②なぜ『岡っ引きどぶ』と『狂四郎』の順番が入れ替わったのだろう。山崎努主演の『必殺仕置人』が始まるのが1973年4月だから、3月の『狂四郎』終了後、続けて『仕置人』の念仏の鉄(=山崎努)を見ながら、『どぶ』を思い出し、町小路左門を振り返っていたいたものが、脳内補完で記憶として沈澱していったのかも…ちょっと苦しい説明やね。

まあ、人間は都合よく歴史を書き換えるもんやという結論にしておくのが無難なようやね…

※1:デイリー新潮 2021年5月22日掲載『⽥村正和さんと時代劇 「眠狂四郎」の撮影秘話を中島貞夫監督が語る』のこと。中島貞夫さんはTVスペシャル「眠狂四郎 III 今日あって、明日なき命を生きる者」(1996年、テレビ朝日)を監督している。

※2:平幹二朗版『眠狂四郎』は、1967(S42)年4月3日から9月25日にフジテレビ系列で放映された。全26回。プロデューサーは五社英雄である。

※3:山崎努版『岡っ引きどぶ』。正式タイトルは『岡っ引どぶ どぶ野郎』。1972年1月2日~4月30日まで、関西テレビ制作、フジテレビ系列で放送。全18話。田村正和が演じて好評だった町小路左門は、主人公・どぶを配下にしている北町奉行所の与力で、推理力抜群の盲目の美剣士であった。ピッタシでしょ。