感受性・感性・Sensibility …

当たり前のように使っている日本語の誤用や奇妙な使い方をぼやく『近頃気になる巷の日本語』シリーズ、今回は真逆のお話を投稿――

私が身を置いているグラフィックデザイン業界で、昔からよ~く使われていた言い回しのひとつで「デザインってやはり感性だよね」というのがあった。
これを商談や会合で聞かされるたび「はぁ~?」となりつつも、「そうですかね~」と反応していたものである。

「そうですかね~」と中途半端に濁していたのは、こいつの言ってる「感性」ってなんやろ? 感覚、FeelingやSenseと同じ意味のように使っているけど、「カン・セイ」と言ったほうが賢そうに聞こえるからかな?―などと思っていた。

制作者の感性が仕事の品質を左右するといいたいの? 一流のデザイナーは感性だけで仕事をしているの? じゃぁ、一流の感性ってどんなレベルのモンなの? ―とか反問していたものである。

ちなみに、感性って何者?と辞書に頼ってみる。
My Mac搭載辞書・三省堂の「スーパー大辞林」によれば――
かんせい【感性】
① 〘哲〙〔英•sensibility ドイツ•Sinnlichkeit〕
__㋐ 認識の上では,外界の刺激に応じて,知覚・感覚を生ずる感覚器官の感受能力をいう。ここで得られたものが,悟性の素材となり認識が成立する。
__㋑ 実践的には,人間の身体的感覚に基づく自然な欲求をいう。(以下略)
② 物事に感じる能力。感受性。感覚。(以下略)
――とあった。

知覚・感覚を生ずる感覚器官の『感受能力』によって得られた個々の情報が、悟性(理性)の材料となって、一つの形=認識として成立する。その『感受能力』のことを「感性」というのか。
ならば、デザイン作品の成立を考えた場合、素材・材料だけではダメで、「調理する」という行為がないと料理は完成しないように、材料(=情報)に整理や分類や編集という自分なりのプロセス(=メソッド)を加え加工しないと、作品(=創造行為)は完成しない。
つまり、やはり、感性だけではアカンのじゃのう~という結論に、かれこれ20年以上も前から達し、「デザインって感性ですよね」などとは一切喋ったことはなく、「感性」という単語も私の辞書には載せていない。

時は流れ、2020年代も半分過ぎちゃった今年、ワシは75歳になっちゃった。
老人化現象故だとは思うが、物事の好き嫌い、善悪や美醜の判断がはっきり―しすぎちゃって困ったもんだな~と思う。(若い頃からでんがな、という突っ込みは横において置く)

上の認識で言えば、齢を重ねるということは、『感受能力』で集まってきた情報を蓄積することといえなくもない。それらを整理・分類・編集してきた結果が、現時点のワシの感受性、すなわち感性、My Sensibility ではないか。

そう思ったら、何だか憑き物が落ちたように、この言葉昔ほど嫌いではなくなり、封印を解くことにした。

2026年夏、人として思うこと、想うこと、生きること、全部私の感性で行っとります。

ぶつくさ堂の作文、全部、私の感性でひねくりまわして書いとります。