フィルム・エバンジェリスト 淀川さん

ローハイド、ガンスモーク、バット・マスターソン、ワイアット・アープ、ライフルマン、シャイアン、ブロンコ、ローン・レンジャー、拳銃無宿にララミー牧場……’60年代、日本の大人達も子供達もわかせた米国製TV西部劇達だ。
中でも、ちょっと変わった企画コーナーがあって視聴者を楽しませたのが「ララミー牧場」。
私が淀川長治さんと出会った番組だ。
それは本編終了後のエンディングに放送される、淀川さんがおしゃべりする『西部こぼれ話』というミニコーナーなんだけど、西部についての詳しくわかりやすいその解説はとても楽しいものだった。
スポンサーである「バヤリースオレンジ」のロゴがついたウェスタン扉(スイングドア)だったか、駅馬車のドアだったかが閉まり、また来週ーとなったように覚えているのだが、何しろ古い話、少しあやふやである。
この時は、おじさんの正体を存じ上げるはずはなく、私にとっては西部劇に詳しい、ちょっとクセのある関西弁の奇妙なおじさんであった。
1962~3年、小生が小学5~6年生の頃のことでした。

数年後の ’66年(S41)、NET(現:テレビ朝日)の『土曜洋画劇場』(※1)でおじさんと再会した。
この時初めて、この人は“映画評論家”なんだと合点し、同時に「映画評論家――映画を語って飯が食える、ええ商売があるもんやなぁ~」と憧れた。その時は、中学2年生の坊主でした。
定番になった「はい皆さん、こんばんは」から始まり、「怖いですねえ、恐ろしいですねえ」を挟みつつ本編を語り、最後の「それでは次週をご期待ください。サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ…」の語り口、私もしっかりとハマったことがある。
以後、サヨナラオジさんは淀川さんの終生の愛称となった。小松政夫がモノマネを始めた時、ええのん見つけたねとエールを送った記憶がある。

人間、ハイティーンになっていろいろなことを覚え学びしてゆくと、平易に表現されたものを軽く見たり、似たような二つがあれば難解な言い回しの方を選択したり、尖った行動を好んだりする傾向があるもので、まあ背伸びをしたい年頃といったところか、だから、淀川さんの解説を聞いていて、「こんな映画、なんで誉めんねんっ」と息巻いて、『日曜洋画劇場』自体を見なくなっていった時期もあった。

それから10年以上の月日が流れ、私も30代に入っていたある日、一般雑誌か会報誌だったか定かでないのだが、“淀川さんの記事”に遭遇した。
それは、当時淀川さんが主宰されていた映画の同好会、あるいは別の機会での講演記録(の転載記事)だった。
「今日は、普段やっているテレビの解説ではしゃべらないことやものの言い方をします」と、冒頭で宣言し、自由に喋っておられる珍しいもので、多分転載記事だったので講演全貌の文字起こしにはなっていないとは思うが、意図は十分伝わった。(※2)

前半は、黒澤明作品『椿三十郎』の劇中に登場する椿についての話。
敵対する相手の屋敷に囚われの身となった主人公たちが、外で待つ仲間に襲撃の合図として、屋敷内を流れる小川に大量の椿を流し連絡するという重要なシーンがある。
この水面に流れる白い椿の花を、納得の行く白さに写すため、墨を溶かした水を流して撮影した話を紹介し、撮影技法としてではなく、表現者の性根とか矜持みたいなレベルで語られていたように記憶している。(ちなみに『椿三十郎』はモノクロ作品です。念のため)
後半は、黒澤作品だったのか他の人の作品だったのかも覚えていないが、花か雪かなんだったか、モンタージュを絡めた編集技法と人物描写の話、つまりは映画の表現とはどんな風に組み立てられているかみたいな話を講義されていたように、おぼろげながら記憶しているが、ほとんど忘れている。(歯がゆい作文だね。辛い)
――であるけれど、この時、私の淀川感は一変した。
自分が浅慮であったこと、そのように思ったこと、は強烈に覚えている。

「どんな映画にも見所はある」だから「必ず褒める」淀川流。
氏の批評眼に照らして「?」という作品があったにしても、「これ駄作ですわ」と視聴者に言っちゃうことは、放送する側の一人として、視聴者に失礼だと考えておられたのだろう。
テレビの映画解説、一人でも多く劇場に足を運ぶ人、映画ファンを増やすためと位置付けておられたんだろうね。

テレビの映画解説を窓口に、あまねく映画をこの世界に広めようと努めた淀川さん。
伝道師・淀川さんは、その使命を十二分に果たされたようである。
’06年(H18)12月、『日曜洋画劇場 40周年記念 淀川長治の名画解説』DVDが発売された。

前代未聞の“解説者の解説のみが入ったDVD”。
私は今でも、これを時々見直している。

※1:翌’67年4月には日曜日に移動、『日曜洋画劇場』となり、約50年続く長~い歴史が始まった。

※2:たくさんある淀川さんの著作の中で、上の内容が所収されているとすれば、『淀川長治映画塾』がそれっぽい題名だけれど、同著は未読。ごめんなさい。