この雑文の通しタイトルは「思い出映画館」。
わざわざ“館”をつけたのは、子供の頃に観た思い出の作品を語るより、映画を見るための入れ物、どんな劇場があったのかを書きとめておきたかったから。回数は少なくとも、毎回毎回、結構一生懸命に見ていたのである。
まずは地元の映画館。この雑文中では「ふるさとの映画館」に出てきた『ラッキィ』と『ヤマトカン』がそれ。邦画なら地元でOK。ちょっと贅沢をするときには、関西線に乗って天王寺で下車、阿倍野橋界隈には洋画も邦画も封切り館があった。
以上、いわゆる映画館。
そして、学校の映画鑑賞の時間。硬軟とり混ぜいろいろと見させていただいて、貴重な時間でした。
さらに加えて、地域で催される映画(上映)会などというものもあって、私など裕福でなかった人民にとってはありがたいイベントでありました。
学校の映画鑑賞会なるもの、現在もあるのだろうか?
当時は、年に2回程度実行されていたように記憶している。
上映のために生徒を校内のひとっ所に集めるのだが、私の通っていた小学校には、床がコンクリートの“講堂”しかなく、パイプ椅子に座ったか、運動会の時のように筵を引いて座ったか、よく覚えていないが、まあ、多分、パイプ椅子だろうね。いくら、昭和30年代とはいえ、ムシロ座りの映画鑑賞はなかったろうと思う(笑)
ちなみに、その小学校に“体育館”(床が板張りになった壇のある施設)ができ、最初に使用したイベントが小生たちの卒業式だった。余談やけど。
そんな鑑賞環境だったので、地元の映画館にも午前中貸切で出かけることがあったような、なかったような…霞の彼方やけど。
中学校になると、体育館があったので、板敷のフロアに並んでいろんな分野の作品を見ることができた。まあ、「文部省選定」とか「優秀映画鑑賞会推薦」とか「PTA全国協議会特選」といったお墨付き映画が多かったけどね。家庭の経済状態がよろしくない子供や家族の奮闘物語といった社会派感動作(※1)が比較的多く、決して退屈する時間ではなかった。それらのメイン作品に加えて、教育映画というか動物・植物・化学知識のドキュメンタリーのような短編が必ずセットになっていた。『岩波映画』というものを知ったのもこのお陰である。
一方、奇妙な記憶がひとつ。学校から劇場に出向き、小林正樹監督の『切腹』を見たと覚え込んでいる。
1962年公開作品だから、公開年にすぐ観ていれば小学5年生で、ちょっとこの映画はイタすぎる。故に、中学時代のことだと考えられるが、それでも、やっぱり、強烈に痛かった。
公開後数年の後、学校上映会用のプリントでも作って巡回していたのだろうか、わざわざ劇場までこれ観に行きます?
まあ、昭和37年度の「芸術祭参加作品」ではありますけど、当時の教育委員会の見識、高かったんだとしか思えない。今やったら、R15+指定は必至ですわな。
本当にこれはオイラの妄想、完全な記憶違いかもしれないね。
高校時代にも出張映画鑑賞があり、67年(高1)の秋、OS劇場に出かけた。
この劇場は1000席以上あったので、当日は複数の学校が合同で観にきていたのではなかったかな。
観た作品は、何度目かのリバイバル上映だったろう『ベン・ハー』。
初シネラマに驚愕はしたけれど、席が悪かったせいで、スクリーンの湾曲ばかりが気になって、なかなか作品に入れなかったことが残念だった。
この恨みは、後年、自宅においてLDを間近で見ることで若干晴らしたのだった(笑)
最後は、地域で催される映画(上映)会の話。
仕組みは理解できてないんだけれど、地域の集会所とか、寄合所とかで開催され、旧作の劇場映画や、後年には漫画映画などが上映された。普及し始めていたとはいえ、小さな画面のテレビより、大きいスクリーンで見る映画の方が、やはり魅力的だったのである。
またもや筆者の思い込み・勘違いかもしれないが、今でいう“星空映画会”の走りといえる、学校のグランドや、林の木にスクリーンを取り付けたりして映写していたイメージが記憶の底に残っている。
明確に覚えている一本は、月形龍之介主演の水戸黄門シリーズの一作で、山中に怪物(狒々=ひひ)が潜んでいて、村の娘を人身御供に差し出す話だった。
劇場以外のスクリーン、水戸黄門、怪物ヒヒ、この3要素の組み合わせがどうにも奇異で、誰に話してもとうてい信じてもらえるとは思えず、ずっと黙していたのだが、最近「あった」ことを突きとめた。
東映・モノクロ・スタンダードサイズの『水戸黄門漫遊記』シリーズの第9作「人喰い狒々」編(1956年公開)である。これもこの雑文シリーズを描こうとしたお陰かもしれない。
それまで娯楽の王者で左団扇だった映画界も、斜陽の影がしのび寄り始めたこの頃、誰かが考えたんだろうね、この「貸出し」方式。
どれぐらいお客さんの繋ぎ止めに役立ったか知らないけれど、オイラには楽しみな時間であったことは間違いない。
適度な距離をあけて映写機とスクリーン、加えて音響装置が設置でき、暗闇を生成して映画を上映できれば、そこは映画館。
その空間は、あくまでも出かけて手に入れるもの。
映画は、出かけてゆくから楽しいのである。
※1:学校で上映されたプログラムかどうかは別にして、『にあんちゃん』とか『つづり方兄妹』とかの作品達のこと。