○○すぎる と 神○○

近頃気になる巷の日本語のシリーズタイトルイメージ

「○○すぎる△△△」という言い方が一般的に使われるようになって、もう20年ほどになるらしい。
この表現が広まったのは、2007年八戸市の市議会議員・藤川優里さんが「美人すぎる市議」として騒がれたのがきっかけだったと記憶している。(※1)
その後2010年代にかけ、「かわいすぎる」「おいしすぎる」といった表現が若者層で広がり、俗用ではあるものの、そもそも物事の量や程度が適当な度合いを越える状態をいう「過ぎる」の意味を肯定表現に転換、「非常に○○な状態である」を表わす褒め言葉として広まり、やがて一般表現として定着した、今様の“賞讃表現”のひとつだ。
それにしても、「美人すぎる市議」という言い方、「美人すぎる」を「市議」とくっつけようと思いついた御仁 or ライターはしてやったりかもしれないが、いろいろと突っ込みたくなる表現であることも事実だよね。

「神○○」、こちらは創作物などにおいて特に素晴らしい出来栄えだと思われた時に使われる。
名詞の前に「神」をつけることにより最上級の賛辞を表す言い方で、「神ゲー」「神曲」、ドラマやマンガといった連続モノなら「神回」などといわれる表現だ。
著名人がファンや顧客に対して見事な接し方をした際には、(ファンの側から見て)神対応という表現になる―今様“賞讃表現”その2だね。
2ちゃんねるなどのネット掲示板やゲーム・アニメファンの間生まれた「神ゲー(ム)」等が発祥&由来で、やはり2010年以降に広く使われるようになったそうである。

こちらについて思うのは、神さんいっぱいになりすぎて、いくら日本には八百万の神が在わす国柄とはいえ、これだけ頻繁に使ったり発見したりしていると、なんか、値打ちが下がるというか、有り難みが薄れちゃうよと思っちゃうことかな。

両表現とも、ネット・スラングやオタク用語が発祥で、そこから若者言葉として一般化していったとのことだが、―とすれば2010年代以降のSNSの利用膨張が、こういった表現の使用拡大に貢献したことは疑いのないところだろう。
もともと1バイトでも短い表現が重宝されるネット・Webの世界だから短縮形は歓迎すべきもの、またオタク気質のギュッと固まった象徴表現によって集団内のコミュニケーションがスムーズに行くならさらに大歓迎、つまり、厳格な定義が無くとも、くどくどしい説明の必要がなく、朧げではあるけれど全体像は解りあえ(たつもりになれ)る、そう、まことに便利な表現なのである。

加えて、(あくまでも表層部分ではあるけれど)若者の流行なんぞを気にしているメディア連がそれを放っておくはずがない。この言い方、最近流行ってますよぉ~と喧伝し使い始めるモンだから、そんなもんかな~と広まってゆくのだろうね。

そんな「今様賞讃表現」の、それも最上級表現であった「○○すぎる」と「神◯◯」だけど、みんなが頻繁に使うようになって「最上級」ではなく、なんだか「中級」か、「普通」表現になってしまったかのようだ。
新たな最上級表現を探さなくてはならないね。

「すぎる」と「神」を合体させて「神すぎる△△△」

なんだか、すでに使われていそうだね。
それにもう、そんなにありがたく響いてこない。
困ったモノである……

※1:藤川さん、’23年に5選を果たし、’25年6月には 第44代八戸市議会議長に選出され、現在もご活躍であるそうだ。(八戸市HPに掲載されている)