私は自慢じゃないけど、高校を卒業するまで、活字のフィクション、つまり文芸作品はほとんど読んだことがない。つまり、マンガしか読んだことがなかった。
今回は、そんな“見事にマンガしか読んでいない少年”と有名な純文学作品とのお話……
夏目漱石の『こころ』は、中学2年の夏休みの国語の宿題ー読書感想文の課題図書のひとつだったので何とか読み終えた覚えがある。太宰治の『斜陽』は、高校時代のどこかで読んだ記憶がある。
いずれも当時のワタシにはピンとこないものだった。
記述されている“文章”は読めても、“内容”にはさっぱり共鳴できなかった。
ましてや文体を云々する趣味も芽生えていなかった私にとって、共鳴できないフィクションは「ツマランモノ」としか思えないのだった。
__カルマに縛り殺されていく人間の「こころ」を描いた、日本文学史上の金字塔。(※1)
__親友を裏切って恋人を得た。しかし、親友は自殺した。増殖する罪悪感、そして焦燥……。知識人の孤独な内面を抉る近代文学を代表する名作。(※2)
そして、
__破滅への衝動を持ちながらも“恋と革命のため”生きようとするかず子、麻薬中毒で破滅してゆく直治、最後の貴婦人である母、戦後に生きる己れ自身を戯画化した流行作家上原。没落貴族の家庭を舞台に、真の革命のためにはもっと美しい滅亡が必要なのだという悲壮な心情を、四人四様の滅びの姿のうちに描く。昭和22年に発表され、“斜陽族”という言葉を生んだ太宰文学の代表作。(※3)
__太宰治の代表作の一つでもある『斜陽』は、戦後の没落貴族の姿を、恋と革命をテーマに描いたベストセラー小説です。(※4)
20才を迎えるあたりからポツポツと文字の本を読み始め、物語のお話とは別に「…てなことを書きたかったんですね」と作者の心情とか動機とかを慮れるようになり、上のような紹介文も理解できるようになり、つまりは著者のテーマとかモチーフとかを汲んだり語ったりできるようになった次第。
それでも共鳴できるできないはやはり別、最重要ポイントです。
感動の量が違いますもんね。それは50年たった今でも変わりません。
時間をマンガしか読んでない10代の頃に巻き戻しましょう。
中学2年の夏休み明けには、「こんなちっちゃいことでウジウジゆうてるような作品を読むのは、自分には苦痛でしかなかった」といった趣旨の作文をして提出した。一応趣旨は理解されたようだった。
高校2年生の読書感想文は、とにかく読了した活字本だったら良いとのことだったので、イアン・フレミングの『007は二度死ぬ』の読後感を提出した。当時の担任でもあった国語のA教諭は「私も読んだ。ダブル・オー・セブンは面白い。何冊も読んでいる」と返してくれた。
心の広い、愉快な先生がいたのだった。
今から思えば、中学・高校、国語の先生に恵まれていたのかもしれないね。
※1:ダ・ヴィンチWebの【一分間名作あらすじ】の夏目漱石『こころ』のページのページより引用。
※2:amazonの新潮文庫版・夏目漱石『こころ』の紹介文より引用。
※3:新潮社の『斜陽』の紹介文より引用。
※4:マイナビニュースというコンテンツの「ワーク&ライフ」カテゴリーページの春緒さんというライターの書いた記事の記述。掲載日は2022/11/26 07:00。