デザイン屋泣かせ、それとも救世主? それなりデザインの時代−到来

私の生業は、図案屋。
カタカナ書きでいえば、グラフィックデザインとなる。
グラフィックデザイン、抽象的な概念の可視化・視覚化から、綺麗なお姉さんのより魅力的な見せ方、画期的新商品の周知や販促に効果的なツールの工夫まで、その守備範囲は限りなく広い。

1990年代に起こったデザイン界の黒船来航、つまりデジタル機器=Macintoshとその周辺機器を使ってのデジタルプリプレスへの移行。続く2000年あたりから急速に普及したインターネットという通信革命によるパラダイムシフト。二つのエポックを乗り越えてなんとかサバイバルし、お爺さんになったおじさんが、業界の片隅で、最近思うこと、ちょっと綴ります。

例えば、一枚のフライヤーを創ろうとすれば、まずコンセプトを立て、サムネイルを描いてアイデアを確定し、コピー(文字原稿)を用意し、写真やイラストといったエレメントも準備して、いざレイアウトーーというのが普通だった。
が、イラストや写真といったエレメントのフリーダウンロードが充実し、コピーさえ用意すれば、レイアウト作業に即入れるようになり、便利な世の中になってきたな〜と思ったのも…過去の話。

時に202X年、デザイン制作のWebサービスが一般的になってきちゃったのである。
サービスの入り口に立ち、作ろうとしているアイテムのカテゴリーの中から気に入ったテンプレートを見つけ、テキストの内容を自分用の情報に書き換えるだけで完成しちゃうのである。
その上カスタマイズーー自分の持っているイラストや写真に入れ替えたりも可能なのだ。完成したデータは、用途に応じたデータ形式で、自分のデスクトップにダウンロードできる。デザイン作業の省力化もここに極まれりといった感じである。
用意されているカテゴリーも広汎で、Web系だけではなく紙媒体まで揃っている。
各アイテムのテンプレート収録数も数十から数百までと驚くことしきり、もう笑っているしかないのか?

これを誰が使っているのだろう。
この便利なシステムの恩恵を受けるのは誰なんだろう。
素人なのか、業務命令でデザイナーもどきのことをやらねばならない販促担当者、あるいはプロである街のデザイン屋さん…よく知らないけれど、「見覚えのある見た写真」「あちこちで見るイラスト」や「どこかで見たデザイン」とかに出会う機会が増えているのも事実。
各種フリー素材も含め、広く活用されているな〜と思いながらも巷にあふれるデザインを見て、「でも、なんかな〜」「こんなのばっかり」という少しさみしい気持ちを抱いている人、そして業界人は私だけだろうか。
「それなり」に上手にできているんだけど、「それだけ」感がない。それが寂しさの正体だ。

さすがに世の中のデザイン需要が全て「それなり」グレードで良いとはならないだろうけれど、一定水準のものがリーズナブルに素早くできてしまう時代にあって、われわれ“有料”の職業人の存在価値はどこにあるのだろうか?簡単制作システムのオペレーターになってしまってはいけない!と、つい考えてしまうのだ。

グラフィックデザインの守備範囲は広い、と先に書いた。
だから、私たちのプロとしての能力が期待される「これしかない!が欲しい」というフィールド&マーケットがあるはずだ。私たちはそれを目指そうではないか。
でなければ、「はやい・ただ・誰でもつくれる」の三拍子揃った「テンプレートデザインシステム」という、この大きな波を乗り越えられないだろう。
「それなりでいい人は、それなりで。それだけがいる人はワタクシに」…どうでしょう

〜NARIWAI・生業の現場から その1〜 了