漫画映画と出逢ってしまった。
鑑賞会場は定かではないのだが、『白蛇伝』(※1)を観たことは、私の人生において誠に重要で、つまりは、アニ・オタなどという言葉で認知される以前の「○○キチ」という言葉しかなかった時代の、その個体増殖の瞬間、「生涯アニメファン」の誕生の瞬間なんだもんだから、「出逢ってしまった」となる次第。
「絵ェ書いて、映画作ったら、こんなことがでけるんや!!」
漫画が動く、自然に動く、自然に飛行する--その“浮遊感”に私は魅了されてしまった
森繁久彌と宮城まり子の声の演技も素晴らしく、二人の顔が去来することもなくスクリーンの物語世界に集中できた。
この世には「まんが映画」=「アニメーション」というものがあると知った、小学校一年生の秋か冬、64年前のできごとなんであります。
爾来、アニメファンを自認しているワタクシですが、この「白蛇伝からからアニメーションを見続けている」ということ、これ、実は、密かな私の自慢ではあります。単に昔から観ているというに過ぎないんですけどね(笑)
翌年には、これまた夏休みだったか冬休みだったか定かではないのだが、東映漫画映画の第二作『少年猿飛佐助』を小学校の講堂の上映会で見た記憶がある。
同作のラスボス「夜叉姫」の作画&動画は強烈で、トラウマとまではいわないまでも、青年期になるまで結構夢に出てきて、小生を苦しめてくれたものです。
数年前、伝説のアニメーター、大塚康生さんの著書『作画汗まみれ』(文春ジブリ文庫版)を読んでいたら、この夜叉姫も大塚さんの手になるものと知り、長らく眠っていた上の記憶が、懐かしさと共に蘇った。
そして、第三作の『西遊記』。
小3の夏休みに観たとは思うが、場所も時も朧なのだ。ともかく’60年8月の公開作です。
構成に「手塚治虫」の名がある。このプロジェクトへの参加あたりから、手塚先生の中のアニメ制作熱が一気に加速したのかもしれないね。
第四作は『安寿と厨子王丸』(’61年公開)。
小学4年生の秋頃か、学校の映画鑑賞の日といったイベントで見たような記憶がある。
文部省推薦とか日本PTA全国協議会特選とかのお墨付き作品(※2)だったように覚え得ている。
でも? だから?、印象が薄い作品で、おいらの評価は低いのであります。
第五作は『アラビアンナイト・シンドバッドの冒険』(’62年7月21日公開)。
脚本に、「手塚治虫」と並んで「北杜夫」さんの名がある。(不思議)
本作と世評に高い第六作『わんぱく王子の大蛇退治』の二作について、鑑賞の記憶が全くない。だから、未見なんだろう、残念である。
そして第七作『わんわん忠臣蔵』(’63年12月21日公開)。
何処の劇場だったかは失念しているが、二階席で見たような記憶がある。
本作のクレジットでは、「原案構成:手塚治虫」とある。あまり手塚調が反映されてないと思うけれど、作品としては結構楽しめたと記憶している。
東映動画と手塚さんの関係は、今作が最後になった。
手塚さん(=虫プロ)は、この年の年頭からテレビアニメ『鉄腕アトム』をぶち上げているから、嘱託の東映と断絶するのはやむを得ないでしょうね。
偶然かもしれないけれど、長らく続いた私と東映漫画映画のおつきあいも、今作で打ち止めとなった。
小学6年生の冬だったと思う。
’68年には、高畑勲監督の『太陽の王子 ホルスの大冒険』が公開されているけれど、私自身は高校2年生で、青年コミック誌に夢中になっており、「東映まんがまつり」には出かけなかった。出逢いとは、複雑で微妙なものである。
以後、テレビアニメの劇場版とかいう商業戦術的なラインナップの時代が10年続くことになり、本格的な漫画映画の復活は、’78年の『ルパン三世 ルパンVS複製人間』(監督:吉川惣司)、’79年公開の『銀河鉄道999』(監督:りんたろう)『ルパン三世 カリオストロの城』(監督:宮崎駿)を待たねばならなかった。
そして、ガンダム、ドラえもん映画を経て、ジブリ、エヴァ、鬼滅……
今日の映画興行成績上位を当たり前のように「漫画映画」がしめる時代になろうとは…。
喝采をあげつつも、ちょっと奇妙な気がしているのは私だけかなァ?
※1:『白蛇伝』は、1958年10月22日に公開された日本最初のカラー長編漫画映画。続く『少年猿飛佐助』は、日本初のシネマスコープ版・総天然色長編漫画映画。ともに日本アニメーション史を飾るレジェンド作品である。初見以来半世紀以上経過して筆者の記憶が退色したのか、両作ともモノクロ作品だったと数年前まで思い込んでいた。
※2: 正確には、「文部省選定」と「日本PTA全国協議会特選」である。