私の小学校低学年時代の宝物に、数枚の映画のスチル写真があった。
当時の大ヒット映画、『赤胴鈴之助』シリーズのものである。
1957年から1958年にかけて製作された、大映の梅若正二主演シリーズ7作品の内のいずれかのもの。
小学校への入学が ’58年だから、多分、第七話「赤胴鈴之助 三つ目の鳥人」(同年3月11日公開)あたりと思う。
どうして、そのスチルを持っていたかというと、小生の実家から少し離れたところに住まわれていたYさんという方が映画館(運営会社)に勤めておられ、その方の職場を訪問、つまり劇場にお邪魔した時に頂戴したものだと思われる。
実際に劇場のショー・ウインドーに貼られていたものか否か、あるいは予備品なのか詳細は不明だが、右肩に「大映スコープ」のロゴが入っていたように記憶している。
また、梅若正二の凛々しい顔も結構決まっており、時代劇ファンの7~8歳の少年にとっては、ブームの渦中の写真ということもあって、誠に貴重なアイテムだった。
Yさんの社内的な立場は覚えていないが、勤務地は、大阪市阿倍野区阿倍野。
近鉄阿倍野橋駅のあびこ筋側、国鉄(現:JR)天王寺駅の東改札口の向かい側あたりにあった劇場だ。
「キンエイカイカン」と音で覚えていたので、Wikiってみるとありました。
株式会社きんえいさん、あべのアポロを運営している近鉄グループの大きな会社。
年表を確かめると、
_1954年11月…「近映大劇場」「近畿劇場」「近畿地下劇場」の3館からなる「近映会館」が開館(現在の阿部野橋ターミナルビルウイング館の場所に存在)
とあり、ここに間違いないと、勝手ながら確定させていただきました。
60数年前の私は、この3館のいずれかのスクリーンで、市川崑作品との最初の出会い『ぼんち』を観、叶順子いいな~とガキンチョのくせにときめき、船越英二と川崎敬三を見て、この人達、いっつもちょっと頼りない男の役やな~と眺めていたのである。(阿倍野での記憶、大映映画ばっかし!)
株式会社きんえいさんの社史の続きには、
_1957年…「アポロ座」「阿倍野セントラル」「あべの劇場」「阿倍野シネマ」の4館からなる「アポロ会館」が開館
続けて、
_1967年… 阿倍野共同ビル地下に「あべの文化劇場」開館
とある。
上の「アポロ会館」とは、市大病院東側の現:アポロビルにあった劇場のことだろう。
ここでは、’67年に『007は二度死ぬ』を観に行っている。
下の「あべの文化劇場」はリバイバル上映館だったのだろうか、’70年頃にルネ・クレマンの『太陽がいっぱい』をこちらで観たように記憶している。
話を「赤胴」に戻そう。
当時の赤胴鈴之助人気は凄まじいものがあった。原作漫画の人気はもちろん、映画は60分~70分程度と短いものの一年半で9本も作られ、ラジオドラマ化、テレビドラマ化(※1)もされている。コンテンツ(キャラクター)ビジネス展開の草分け作品で、ソフビ、メンコ、プラモデル、文具等数え上げればキリがない。
かく云う私も、当時一品持っておりました。それは「赤胴鈴之助」の「いろはかるた」。
先ほどググってみると、「日本の古本屋」というサイトで3万円の値がついていた。
残してた人、持ってた人がいるんだね。
私は、冒頭で喋ったスチル写真も、このカルタも、どこかへやってしまっている。
後悔しても遅いのだ。
「いっとうりゅうの うでの さえ」
「あほー あほー と からすが ないたよ」
「けいこの はげしい ちば どうじょう」
今でも覚えているもんだね。
※1:吉永小百合さんは、赤胴鈴之助に縁のある方で、’57年1月ラジオドラマ『赤胴鈴之助』で、デビュー。10月、テレビドラマ『赤胴鈴之助』でテレビデビューされている。小ネタですけど。