堰堤 思い出話 ―大和川付け替え編― Part 1

少年時代の古里のお気に入り空間、大和川と柏原堰堤のトリロジー、最終回です。
そもそも大和川とか河内とかってな~に?という方もおられるだろうから、ザックリと前説を。

大和川は名前からわかるように、奈良県(大和)のほぼすべての水流を合流し大阪府に流れ込んでいる一級水系河川。
生駒山地と金剛山地の境目を縫って奈良県から旅してきた大和川は、大阪府柏原市に入ってすぐあたりで南河内を北進してきた石川と合流、その直後に大きく左折し西向きに進路を変更、大阪湾に注いでいる大阪で二番目に大きな川――

というのが最短の紹介文かな。

で、下の図版-1[大和川空撮](※1)を見ていただこう。写真は上が西、下が東、右が北で左は南で撮影されている。
①が、先の投稿 Part-1とPart-2で紹介した柏原堰堤と河川敷、上流に目を移すと、②が石川との合流点、③が今回の話の焦点「左折転回点」、上の紹介文「…石川と合流、その直後に大きく左折…」のポイントだ。平地の高低は、画面左から右に、つまり南から北になだらかに傾斜している。なのに、流路は写真では真上、ほぼ真西に進んでいる。

図版-1[大和川空撮](※1)

下の図版-2は、大和川河口・大阪湾側から河内平野を眺めたもの。(※2)
一部蛇行しているものの、東西に渡って大阪平野をほぼ真っ二つにしている。

図版-2[大和川流路-河口から河内平野を望む](※2)

渓谷・谷間でもないのに大きく転回していることに“人工”を感じる方は、地勢に敏感な人だよね。

昔は左折せず、南高・北低の地形のままに直進、つまり河内平野を北上していたそうである。
実際にどんなふうな流路だったのか、こちらも図版で紹介したい。

図版-3[摂津河内国絵図](部分)(※3)

解りにくい人にはこちら、現代版、柏原市のHPからもらってきたものをどうぞ。

図版-4『知恵と技術~大和川のつけかえ工事1~』内の図版(※4)

この旧・大和川は、現・八尾市あたりから数本に枝分かれして大阪城近辺に流れてゆく天井川で、たびたび氾濫を起こす暴れ川の集合体。こいつを防ぐには新川を作って人工的に流れを変え、大阪湾に流すしかない!と開削されたのが現在の流路で、まあ、新・大和川といってもいいかと思います。
そして、その工事が大阪圏ではわりと有名な『大和川付け替え工事』です。(※5)

子供の頃、郷土史の基礎知識として、“方向転換工事”が行なわれたことを漠然とは教えられてはいたが、㋐幕府に対しての請願が50余年をかけて行われたこと、㋑
なか
甚兵衛(※6)という庄屋さんが奮闘されたこと、㋒当時としては大・大・大工事だったこと、にもかかわらず㋓着工から竣工までなんと8カ月の高速工事であったこと…など、教わったのかも知れないが、中甚兵衛さんの名前ぐらいしか記憶していなかった。
小生のガキの頃、現在ほど学習用テキストとかも揃ってなかったのかもしれないね。なにしろ65年も前のことだから。

※6-2:中甚兵衛像

この投稿を書くにあたって、定番情報源のWikipedia、地元・柏原市、もう一つの地元・藤井寺市、大和川河川事務所(国土交通省・近畿地方整備局)等の関連コンテンツを改めて閲覧した。
オイラの少年時代と違って、資料・文献・研究、それぞれ格段に進み、その充実ぶりに半世紀経過の歳月を感じた。
新しい事実もいっぱい学んだ。齢75にして、新しいことを知ることはとても楽しいことであると実感できた。
そして、素人が上のコンテンツ等を参考にしてダイジェスト記事をつくるような愚はやめることにした。
安直な集約記事ならAIを使えばちょいちょいとできる今日である。私、ぶつくさ堂のやることではないものね。だから、付け替え工事について関心を持たれた方がいるなら、まずは柏原市のホームページを読んでいただきたい。

1. 大和川の歴史()、2. 付け替え運動()、3. 付け替え工事()4. 付け替え後()、5. 現在の大和川(

この5編、一般向けに丁寧に作られている労作だと思う。

地形と地方史の素人ざっくりガイダンスはここまで。
稿をあらため、Part 2 では、付け替え(新大和川開削)工事についての私の覚えをメモっておこうと思う。
引き続きよろしくです……

※1:図版-1[大和川空撮]…素材サイト Photo ACよりDLした『空中写真(大阪府柏原市)』に、当サイトにて説明番号をつけた。

※2:図版-2[大和川流路-河口から河内平野を望む]…大阪市と堺市の間を流れる大和川とその河口付近の大阪湾上空からの航空写真。Wikipedia CommonsからDL()しました。

※3:図版-3 摂津河内国絵図(一部)…16世紀の摂津河内国絵図の一部、淀川が右上から流れてきて神崎川、中津川、を分流した後に、北上してきた大和川を合流させている。安治川はまだ掘削されていない。原典:国立国会図書館デジタルコレクション。Wikipedia CommonsよりDL()しました。

※4:図版-4 柏原市HP『知恵と技術~大和川のつけかえ工事1~』内の図版「つけかえ前の大和川」を転載させてもらいました。(

※5:そもそもなぜ天井川で氾濫が多いのか?という話なんだけど、これは大阪平野の成り立ちから喋ることになり、私の手には余るので、『地形からみた歴史 古代景観を復原する』 (講談社学術文庫)・日下雅義 (著) 等の専門書を参照されたい。

※6:中 甚兵衛(寛永16年(1639年)~享保15年9月20日(1730年10月31日))…江戸時代初期の農民。河内国河内郡今米村(現・大阪府東大阪市今米)の庄屋。三男として生まれた。大和川付替え工事に奔走した人物であり、江戸幕府に大和川付け替えや治水計画を46年にわたって嘆願し続け、農民の身でありながら並み居る幕臣に交じって、付け替え工事を指揮した。(以上 Wikipedhiaの記述)

※6-2:中甚兵衛像…大和川治水記念公園(柏原市・安堂交差点北西角/付け替え工事の転回ポイント)にある中甚兵衛像。Wikipedia Commonsより DL(