坂口尚さんのこと

その人は、1969年の夏、僕の前に現われた。

当時、虫プロ商事が発行していた雑誌「COM」9月号(発売日は多分8月20日)に「シリーズ・霧の中『おさらばしろ!』」が掲載された。作者の名は、坂口尚とあった。
遅れること数日、「プレイコミック」で『探偵ブラカン』というタイトルの新連載が始まった。こちらの作者は、ハンマー・坂口(※1)
どう考えても、同じ人だった。

デフォルメの効いた画、スタイリッシュなコマ割り、ファンタジー色の強いお話、まさに“自分好み”。
娯楽色の強い『ブラカン』も作者の幅広さの証と大肯定、あっという間にファンになってしまった。
1970年になると、「COM」の3月号に時代劇『雪が降る』、10月には「COM」増刊号の体裁で書き下ろしの『クレオパトラ』、そして「週刊ぼくらマガジン」43号からは『ウルフガイ』の連載が始まった。

『ウルフガイ』(※2)は不幸な作品だったと思う。
掲載されている媒体、原作のトーン、そして坂口さんの絵柄がどうにもミスマッチであった。
当時の画風は連載物にしっくりおさまらなかったのだと、今でも思う。
16Pであれ100Pであれ、読み切り作品なら一気に読めるから、その間、坂口ワールドに耽溺し、堪能し、読み終えると、ええもん見たな!と陶然としながら現(うつつ)に戻るのである。
それが、お話を一週間単位で刻んで、7日後まで読者の関心を引っ張ってゆく週刊連載という枠組みには、その美しすぎる絵はそぐわないと違和感と寂しさを感じつつも、それでも買い続けて、廃刊までおつきあいした。

71年中頃まで続いた『ウルフガイ』の連載とダブるように、『魚の少年』(希望の友 3月号)、「フーセンばあさん」(COM 4月号)、『いちご都市』(COM 8月号)と、筆者が“前期画風完成期”と読んでいる詩的画風の頂点と思える作品達を発表している。
こちらは、坂口トーンが横溢し、天才とはこの人のことだ、と思っていた。

73年の「COM」休刊以降、アニメの仕事を多くし、マンガ作品の発表数は激減する。距離を置いていた紙に再び戻ってくるのは、79年、俗にいう「漫画ニューウェーブ期」に入った頃のこと。
1979年『シリーズ/午后の風』、1980~2年『シリーズ/12色物語』と得意の読み切り連作でカムバックした。

そして、代表作といわれる長編の時代に入る。
1983-86年『石の花』(月刊コミックトム)、1989-91年『VERSION』(月刊コミックトム)、1993-96年『あっかんべェ一休』(月刊アフタヌーン)。
長編三部作の画風は、漫画史における「大友以前、大友以後」の描線革命を反映しつつ(※3)、作品ごとに児童漫画テイストが減少して、長く深い物語を紡いでゆくにふさわしい絵とコマ割りに変化を遂げ、“後期画風の完成”を迎えている。
3部作、掲載はいずれも月刊誌である。制作体制においても創作姿勢においても坂口さんには、週刊連載はあわなかったんだろうと思う。アシスタントを使わず、すべて一人で制作しておられたようなので、月刊誌連載でもギリギリだったのだと思う。
逆に考えれば、世はマンガ週刊誌全盛期、JやMやSといったメジャー週刊誌に連載を持っていたらこの貴重な3部作は生まれなかったかもしれない。

1995年12月22日、『あっかんべェ一休』を描き終え、単行本第4巻のカバー校了に立ち合った直後、ご自宅で急逝されたという。49歳という若さであった。

今はもう2022年。
50年以上、小生を魅了し続けた坂口さん。その「圧倒的な画力、豊かな詩情、緻密な構成力」(※4)は、今も古びることなく、新しい読者を獲得し続けている。

坂口尚さんのオフィシャルサイトへ。画像をclick。

※1:当時青年誌に執筆するときに、外国人か2世のようなペンネームをつけるのが流行っていたのか? M・ハスラー(=望月三起也)、バロン吉元(編集部に勝手に付けられたらしい)、モンキー・パンチ(説明不要)、ケン月影(官能劇画の第一人者とはWikipediaの説明。そっちへ行かれてからの作品は未読であります)といったベテラン勢がおられます。

※2:ウルフガイシリーズも、平井和正も好きだった。

※3:Wikipediaの坂口尚のページには、『2016年10月6日に放送された「浦沢直樹の漫勉」の浦沢直樹の回で「手塚治虫と大友克洋をつなぐミッシングリンク」と坂口尚を紹介』したとある。私自身、しばらく漫画を読むことから離れていた時期があり、2000年代の初文庫化された上記3部作を読んだ時、「大友克洋がおる!」と驚いた記憶がある。

※4:2017年のクラウドファンディング「手塚治虫が称賛した孤高の漫画家坂口尚作品の復刻出版をしたい!」のマンガ作品保存会MOM代表杉浦和行が書かれたプロジェクト本文内の『坂口作品の魅力』の項「坂口作品の特徴は、圧倒的な画力、豊かな詩情、緻密な構成力。坂口作品の魅力はとても一言で表現しきることはできません。」より引用させてもらいました。