「月刊少年漫画雑誌の記憶」と題し、子供の頃に読んだ月刊誌のことを書いていたら、3章にもなってしまった。まあ、よく読んでたモンだな~と改めて思った。
Part1でも書いたけれど、本格的にマンガを読み始めたのは1960年、「週刊少年サンデー」を定期購読し始めたのがきっかけ。
この一事から、マンガ耽溺少年になり、マンガ家志望少年になり、さらに頓挫青年になり、そしてマンガから離れられない大人になり…という人生が始まったんだけど、経済的にどうしてたんだろう、という疑問が発生してきた、我が人生ながら(笑)
生家は結構貧しかったので、何誌も購入できるはずがない。にも関わらず、月刊誌の掲載作も結構覚えている、つまり、全誌とはいわないまでも、結構な数を読んでいたことになる。
当時のサンデーは30円。月4回で、120円。これは家がとってくれていたと思うので、自分の出費には入れない。
月に500円程度の小遣いを貰っていたとして、月刊誌は150円程度、三誌は購える計算にはなるが、全額突っ込んでいたとは思えないので、一誌は自分が購入し、それ以外は、友人知人を頼り、利用し、読んでいたのだろうと推測するのが自然だよね。
なにぶん、すっご~い昔のことなので、細かなところまでは覚えていない。が、唯一安定して入手できる「少年サンデー」を梃子に工夫していたと思う。
例えば、お向かいのU君は「少年マガジン」を購読していたので、一晩か二晩、毎号オイラの『サンデー』と交換しあったりしていた記憶が、微かながらにある。
中学に入る頃には、Part1「少年」の章に出てきたT君の場合だと、自宅とお店で読めた。
T君家は、知り合ったのとほぼ同時にお好み焼き屋さんを始めはったのだ。お陰で、お店用の雑誌がラインナップに加わったのだった!
また、Part2「少年ブック」廃刊までの数年間を毎月読ませてくれたM君とは、「お前これ、俺こっち」といった具合に調整、計画的に購読する関係を作っていたことなど、思い出してきた。
60年以上経った今日、改めて友人達に感謝なのです。
人は一人では生きて行けないのだよ。…誰のセリフか、知らんけど。
加えて、立ち読み。近所に一店、少し離れたところに一店、結構遠くに一店、活用しない手はないよね (^_^)
工夫の決定版を実行したのは、多分、1966年、中三の秋からだったと思う。
平素、買ったり立ち読みしたりしていた近所の書店で“配達”のアルバイトを始めたのである。
このアルバイトによって得た利点は、
① 本がタダで読める
② 本がツケで買える。
③ 荷物を解いて、誰より先に新刊のチェックが出来る。
で、あった。③は反則気味やけど、店の人は助かったかもしれないね。
このバイト、1~2年続けたと思う。
この年、マンガ出版の新しい動き、新書判単行本が登場した。
小学館の「ゴールデンコミックス」とコダマプレスの「ダイヤモンドコミックス」を皮切りに、秋田書店の「サンデーコミックス」が続き、毎月新刊がリリースされるようになったのだ。(※1)
後年、自社ブランドの“雑誌で連載→新書判で単行本”というフォーマットが確立されていく、大きな流れの始まりの年だったのである。
…だもんで、利点②はまことに有効だった。誰にも文句を言われることなく、懐具合もあまり気にせずにマンガ道楽を始められたのだった。
バイト代の大半、働いていた書店に還流して行ったことは、申し上げるまでもありません (^o^)
63年から68年の5年間、私の漫画三昧の黄金期の思い出であります。
※1:「ゴールデンコミックス」と「ダイヤモンドコミックス」が同年同月に刊行されたことを知り、上のように文章を改訂した。【2024年7月24日改訂】